「待てそこの桜田、隆一ィィィ!」
 でもそんな平穏あり得ないんだろうね! 今の状況を察してくれ!
「誰が、待つ、かっ!」
 言葉が切れ切れになる。校舎の中を縦横に駆け回っているのだ。まさか学校中を走り回ることを今になってすることになるとは思わなかった。小学生じゃあるまいに。
 事の経緯はこうだった。授業が終わって皆で帰ろうと思った矢先、教室の外から響いた大きな爆音が生徒の注意を引きつけた。すぐ、野次馬のように皆が窓枠を掴んでグラウンドを凝視する。俺は反応が遅れてしまって窓に寄りつけなかったから、少し離れた位置から遠目で眺めていた。
 ん? なんか嫌な予感がする。
 くるり右を向くと、男が正面に俺を見据えていた。
 あれは――佐緒里の親衛隊?
「桜田、隆一だな?」
 身覚えのある敵意。足元から上って背筋を通って頭のてっぺんまで鳥肌が這いずりまわる感覚。男はトランシーバーを口元に近づける。
「こちら小鳥1。2-Dにて竜を発見。――B地点へ。了解」
 まさか、俺を捕えるだけのために生徒全員の注意を外に向けたのかっ。校舎で爆発物を扱う危険を犯すまでして。
 はじかれたように教室の外へと飛び出す。すかさず後ろから追いかけてくる男。
そして今へと至る。
「待たんかこの不埒者ぉぉぉ!」
 不埒者ってなんだよ別に何もしてないだろ! あとさっき声の質が変わりすぎだ!
 正面からまた親衛隊の一人が走ってきた。逃げ道を探す。急いで右手の階段を駆け上がる。上り切ったあとに小さくほぞを噛んだ。階段を降りるべきだったのだ。ここから下駄箱へと向かってこの校舎から逃げ出さないといけなかった。もはや戻ることは叶わないので、廊下の端から端へと猛ダッシュ。
 くそ、爆発音があっても警報一つ流れやしない。教員が生徒らに非難するように指示することもないし、
 別の階段に差し掛かって、降りようと思ったらその先にはまた別の親衛隊がいた。踵を返したら捕まるのは必然。さらに階段を上る。4階。もうこれ以上、高い所へ繋がる階段はない。屋上へと繋がる道があったとしても、俺はそれを知らない。右手にはこの前バイオリンを弾いていた音楽室。左手には長い廊下が――
「隆一。こっちこっちー」
「佐緒里っ!?」
 奥の教室から体半分を出して、手招きをしている佐緒里。表札には科学室と書いてあった。
「どうしてここに?」
「いいから入って入って。追いつかれちゃうよ?」
「あ、ああ……」
 言われるがままに科学室へ入る。ホルマリン漬けの得体の知れない何かや見覚えのない字体で書かれたラベルの瓶が陰湿さを醸し出し、薄気味悪さが強くなる。
「お、隆一。ちゃんとここまで来たのか。えらいえらい」
 月奈までいる。――というかそんなことより!
「今逃げないとまずいんだっ。話なら後でいいだろっ」
「まあ落ち着け。わたしたちはお前に逃げ道を与えるために呼んだんだぞ」
「え――あ、そうなのか? ありがとう」
 でもここからどうやって逃げるんだ。密室だぞ? ベランダを渡っても先回りされるだけだし、飛び降りれる高さじゃないんだけれど。
「じゃあ詳しい説明は佐緒里から頼む。私はあいつらを足止めしてくるから」
「たのまれたっ。じゃ、いってらっしゃ〜い」
 笑顔で見送る佐緒里。その顔を見て月奈も嬉しそうな表情で教室を出て行く。頼られているのが嬉しいんだろうか。すぐに外から親衛隊と月奈の喧騒の音が漏れて聞こえてきた。梶野さんを悠々と気を失わせるだけの力を持っているので、心配しても杞憂で終わるだろう。
「ね、隆一。この町での暮らしはどう?」
「は? いきなりどうしたんだ?」
「一回、訊いてみたかったんだよ。転校してきたばっかりなのに災難ばっかりだから心配なの」
 どうって言われても。確かに町に来た後に住むはずだった家を失って、結果として佐緒里の家で生活することになった経緯は散々なものだ。結局バレたけれど、それまでは同居していることを知られないように気を使うのが大きな心労になっていた。それが終わった今は親衛隊に追い回されて安閑としていられない毎日。
 少しだけ回顧してみた。不幸の網に何度も引っ掛かっている。ただ、今が敵だらけの毎日だとしても、昔と違って味方がたくさんいるのが嬉しくて心強い。
「そうだな。結構身の危険を感じる時が多いけど、思ったより嫌いにならない。むしろ楽しいな」
 なんだかんだで俺の周囲の人たちは優しいし。
「えへへ〜」
 ほっぺたゆるゆるになっていた。
「じゃあ隆一にはもうちょっと頑張ってもらわないとっ。ということで、窓の外を見て下さいっ」
 中庭の芝生の部分に向かって4階から筒状の布が垂れている。どうやら芝生の中にこれを固定するための金具があって、プールのスライダーのようになっているようだ。下では夕が腕を組んで、加宮がめいっぱい腕を振って待っている。そしてそのスライダーはこの教室の、それも非常用にしか使わない足元の鉄扉を開けた奥から伸びているようだった。
 端的に言えば、布でできた脱出シュートのようなものだ。
「もしかして、ここを滑り降りるのか?」
「そうそう。後の片付けはわたしたちでやっておくから、はいっ。靴と鞄だよ」
「本当に協力してくれるんだな」
「うん。わたしもあの人たちにはぎゃふん! と言わせてみたかったもん」
「どうして?」
「だってあの人たち皆に嫌がることばっかりするんだよ」
「嫌いなのか?」
「あんまり好きじゃない……かな。隆一にちょっかい出すのやめてって言っても聞いてくれないし、わたしだけ特別扱いするのもやめてくれないんだよー」
 珍しくいきり立っている。佐緒里なりに怒るべきところがあるんだろう。
 まあ、別に怖くもないし、これってもしかして佐緒里なりの怒り方? と言わんばかりのぷりぷり感だけれども。ぷりぷり感ってなんだろう。傍からはどう見ても怒っている様子に受け取れない事を示唆する新しい言葉か?
「あ、そろそろ逃げたほうがいいかも」
「そうだな。助かるよ。あとでなんかおごってやる」
「ん、いいよ別に」
「いーや、それじゃ俺の気が済まない」
「そう? じゃあありがたく受け取っとこうかな」
「おう、じゃあまた後でな」
 下履きを脱いで黄土色の世界へと飛び込む。摩擦熱が痛い。ハンモックの上で寝そべっているような、不安定さ。程よいスピード感が神経を高ぶらせる。やがて出口から日の下へと降り立つと加宮が言った。
「やっ少年、はりきってますなあ」
「無理やりやらされてんだけどな」
「捕まったら酷い目にあわされちゃうもんね。もういっそ捕まってみたら? そんで、その感想がききたいな〜」
「五体満足で帰してもらえなさそうなので辞退させてくれ」
「じゃあ阿形君に頑張ってもらう?」
 横からぬっと顔を出して夕が会話に入ってくる。
「いいねそれ。もしやったら何くれる?」
「飴を一袋分」
「俺の血の雨だけに?」
「……ああ、袋叩きか」
「その心は?」
「キラーパス過ぎて俺には扱いきれんわ」
「フッ、お前もまだまだだね。もうちょっとお笑いのスキルを磨いといたほうがいいよ。後で役に立つから」
 なんだその勝ち誇った顔は。
「もう、君たちは漫才師でもやってればいいんじゃないかな」
「「嫌だ」」
「えー、照れることないのに。なんだったら学校祭でいっちょ「あ、追手が来るからそろそろ行くぞ」って無視!?」
 だって本当に後ろからあいつら追いかけてきてるし、こんな他愛のない会話を繰り返したせいで捕まっちゃったらみんなに申し訳が立たないだろ。
「ちゃんと話を聞けー! カームバァァァァック!」
 うるさい加宮。お前らは俺を助けたいのか足どめしたいのかどっちだっ。
 耳をつんざくような罵声を気にも留めず校外へと走る。向かうべきはどこだろうと思索してとりあえず自宅に向かうことに。そこの前で親衛隊が待ち構えているんじゃないかと疑りながらも、様子を見に行けばそんなことはなくて拍子抜けした。でも、玄関の鍵を持っていなかった。いつも当たり前のように解錠された扉から入っていたから気にも留めていなかったが、いつも佐緒里がきちんと戸締りを行っているので鍵を持っていなければ家に入ることはできない。いわゆる締め出しというやつだ。なので、そのまま連中を撒くまで東奔西走を繰り返して――ふと頭をあげると空一面に夕映えが走っていた。
何時間身を潜めながら歩いていたんだ。一時間は優に越えているだろ。ああもう疲れた。
足の裏が熱を帯びて、背中の汗がべたついたせいで気持ち悪い。俯きながらあてもなくほっついていると、突然足元がコンクリートから砂場へと移り変わった。垂れていた頭を立てて周囲を見る。夕日に照らされたアスレチックと、錆びのついた鉄棒がぽつんと静寂さを醸し出していた。あたりを見回す。藤棚。遊具。ベンチ。奥に広がる広葉植物。集ってサッカーをしている子供ら。懐かしい雰囲気が体を通り抜ける。切れ切れとした雲の縁が鮮やかな赤で彩られている。
ここは公園だ。それも小学生のころにしか来ないような小さな公園。子供たちのはしゃぐ声。疲れもたけなわになっていたので、手近にあった木製のベンチに腰をかけることにした。
 俺にもこんな頃があったのだろうか。多分、あったと思う。ぼんやりとしか覚えてないけれど、みんなと一緒にハンドボールをして遊んでいた記憶はあった。さっきまでの慌ただしい逃走劇が嘘だったかのような、微笑ましい眺めが心に癒しを与えている。子供たちがサッカーボールを取り合って、小規模のゲームをしている。ざっと見て10人とちょっと。その中でひと際目立ってボールを抱えている大人がいた。一瞬目を疑って何度か瞬きをしたけれど、
「おらおらおら〜! どけどけ〜!」
 やっぱりそこにいたのは梶野さんだった。





「よお、お前最近なんかすごい俺を無視してなかったか?」
「気のせいですよ」
 単に会話する機会がなかなか得られなかっただけです。
 梶野さんは子供たちとしばらくじゃれあってボールをとられた後、俺がここで座っているのを見つけるやいなや、首に巻いていたハンドタオルで汗を拭いながらこっちにやってきた。少し暑苦しい。
「そうか、まあいいや。それよりよ、なんか最近お前の周りで面白いことばっかり起きてるよな」
「ああ、まあ……俺のせいじゃないんですけどね」
「親衛隊のやつらが暴れてるんだろ? 転校早々、てんてこ舞いな毎日を送ってるじゃないか」
「ていうか、なんで教師たちみんな黙認してるんですか。あの暴徒たちを止めて下さいよ」
「いやあ、あまりに規模ができいし、実は教師陣の中にも佐緒里のファンがいるらしいんだよ」
「マジですか!?」
 女子高生のファンになってるとか、犯罪的な匂いがするんだが。
「しかも大多数」
「こ、この学校わけがわかんない……って、梶野さんもですか?」
「はっはっは」
「誤魔化したっ! 誤魔化したこの人っ!」
 まさか出会い頭で俺に文句を言っていたハーレムが崩れるだろって台詞は、そこまで見越したものだったのかっ。冗談混じりじゃなくてもしかしてわりかし本気だったのかっ?。
「まあその辺は冗談だ。さすがに俺もファンクラブに入るほど落ちちゃいねーよ」
「ああよかった。心底軽蔑するところでしたよ。」
「女子校生は好きだけどな」
「おい」
 せっかく得た信用を一瞬のうちに吹き飛ばすな。やめろその爽やかっぽい笑顔。言動と釣り合ってないから。
「それよりもお前、なんでこんなところにいるんだ? 買い物を頼まれたんなら、店が立ち並んでんのはここと反対の方向だぞ?」
「ああ、それはですね――」
 帰ろうとした際に聞こえた爆発音から始まった逃走劇を簡潔にまとめて話す。そうしたら梶野さんは膝を思い切りバンバンと叩き、大仰に笑い声をあげた。
「ハッハッハ! 面白いなそれは! それであいつらに助けてもらってんのか」
「そのおかげでなんとか逃げ切れました。まったく、当人になってみてくださいよ。全然面白くありませんって」
「そりゃ、違えねえ。俺だって男に追い回される毎日はごめんだ」
 くははというあまり品の良くない笑い方。
「ま、でもよかったな。実は、学校に来たばかりで親衛隊に狙われてるお前を見て、新生活の出鼻を挫かれたような印象があったから、これからやっていけるのか少し心配してたんだ」
「本当ですか?」
 面白半分で生きているような人からそんな風に見られていたとは思えないんだけど。
「おいおい、俺はふざけた事ばかりやってるけど、他人に無頓着なわけじゃないんだぜ? 家族の事くらい心配してるっての」
「そ、そうですか」
 またまた御冗談を――と思ったが、梶野さんの表情からはそんな様子を思わせない真摯さがにじみ出ていた。嘘だろう、と問いただす言葉が喉を下りていく。
でも、本当に信じることはできなかった。家族のことを心配することは当たり前のことなのか? 俺はその家族に入ってから数日しか過ぎていない。それはまるでドラマやテレビの偶像劇だ。梶野さんが信頼できないからではない。俺の心のもっと根本に関係することだ。
 例えて言うなら月奈にふところ餅が美味しいと主張されても、食べたことないからその味がどのようなものかがわからないような。
 家族の愛情が俺にいかなる影響を与えるものなのか、それが理解できなかった。
「――そういえば、なんでこんなところにいるんですか? 仕事も残ってるでしょうに。まだ夕方ですよ?」
「俺、仕事嫌いなんだ」
「はあ。俺もあまり好きじゃないですけど」
「とりあえずほっぽっり出してきた」
「こんなところに来てすることなんてあるんですか?」
 梶野さんは指先を腕ごとまっすぐ前に向けて
「ほら、あそこにが小学生くらいのガキどもがいるだろ?」
「はあ」
「今日はあいつらと遊んでたんだよ」
「仕事放棄してですか」
「後でやるからいいんだよ」
「それができたら残業というのはないわけだけど」
「うっせーな。お前が気にすることでもないだろ」
「それもそうですね。で、何してたんですか?」
「サッカーだよ。あいつら、俺がボールもったらこぞって集まってきてな。足を直にげしげしやってくるわけよ。まあ俺はそんなもん無視してゴールに向かうんだけどなっ」
 いきなり饒舌になった梶野さんの口は止まらない。
「ボールをこう、両足ではさんでこう、ジャンプした後にドリブルすんだよ。そうしたらフリーでシュートできる。奇抜だろ? まあカッコ悪くてなかなかやらないけどな。あいつらもなかなか考えてるぜ。しっかり俺へのパスをカットしてきやがる。小学生のくせに、俺への対策だけはしっかりやってんだよなー」
 ああ、この人は本当に子供が好きなんだな。卑しい意味は全くなく、本当に愛しくて楽しくて微笑ましい、そんな存在として見てくれている。
「あいつらが俺を差し置いてシュートを決めた時の顔といったら心底嬉しそうでな。大人になった今の俺にそんな表情はできないからすげぇ羨ましい。もちろん嬉しくもあるけどな」
 失礼だけど、見てくれに反して梶野さんにはこんな一面があったのか。今までセクハラまがいの事ばかり言って、自分のやりたい放題のことばかりしている印象があったから、関心できる大人らしいところっていうのが今日は色濃く見える。
「子供と遊ぶのは楽しいですか?」
「ああ。お前も来いよ。仲間に入れてやる」
 遠くから梶野さんを呼ぶはきはきとした子供たちの声が聞こえる。追い回されていた時の疲れはまだ残っているけれど、もう気にならない程度になっていた。
「いいですよ。俺が入ればバランスもちょうどいいでしょうし」
 じゃあ行くか、と梶野さんは先に子供たちに近寄っていく。
 伸びた梶野さんの影をゆっくりと追いながら、もう消えてしまったはずだった懐かしい子供心がこみ上げてくるのを感じた。今日はよく走り回る、そういう日なのかもしれないな。空を仰ぐ。俺はこの町が気に入り始めているのかもしれない。夕日の眩しさと温かみを肌で感じながら、不思議とそう思えた。






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4-1 4-3 4-4 4-5 4-6


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