「くっそー、あれは勝ったと思ったのになあ」 「まさか月奈が囮だと思いませんでしたよ……」 いや、そんな回りくどいやり方じゃなくても月奈が単独で立ち振る舞っていれば俺らに圧勝していたのかもしれない。向こうにとっては賭けに近い行為だけれど。 「ちなみに勝ったら月奈と佐緒里に手料理をごちそうさせるつもりだった」 梶野さんが唐突に話題を切り出す。 「は? あんたいつも食ってるじゃないですか。居候のくせに一番食いますよね。白米だけで3杯はいってた気がしますが」 「違う違う。二人が俺好みの服を着て、料理を並べて、もてなすんだよ。まさにマイ・ハーレム・エデン! いっしっし」 「うわ。今、あなたのことを素直に気持ち悪いと思いました。あと訳しちゃダメですねその和製英語」 映画の題名でももう少しセンスがある気がする。 「あーっはっはっはっはっ! 勝てば正義だ誰にも文句は言わせねえよっ!」 おいおい、後ろ生徒らに聴かれてしまうことを考えた上で言ってるんだろうな……仮にも先生なのにいつか立場が危うくなっても知らないぞ、俺は。 ……ま、こんな性格をしているからこういう場に呼ばれて、生徒からも慕われているんだろうけれどさ。普通の先生だったら遊びに混ざらずにさっさと帰れとか言いそうだし。。 閑話休題。 「なあ、ちょっと人数の比が悪くないか?」 この提案に加宮が答える。 「そう? 結構バランスは考えたつもりなんだけど。そのためにAチームは回数付きにしてあるんだもん」 「確かにそうだけど、もしBチームが一斉に攻めてきたら俺達勝ち目がないぞ」 4人が一人を狙えば、一瞬で片方が潰されるわけだし。一応、そうなったら全力逃げるわけだけど、割と厳しい状況なのは変わりないだろう。。 「そうかなあ。ま、じゃあ今度は梶野先生の代わりに月奈ちーを入れてあげるよ」 「む、隆一と一緒か。まあ梶野とか夕と一緒よりは数倍マシだな」 それに眉をピクリと動かして反応を示したのは夕だ。 「うわー。小美野妹、さりげに俺らディスってない?」 「ディス? でも、さりげなくではないぞ。思い切りだ」 「だからなんでこう言いきっちゃうのかなあ。お前にはもう少し発言に遠慮を持つ気前があればいいのに」 「え? だって本当のことじゃないか」 本当の事だからこそ、男のプライドがボロ雑巾みたいになってしまうんだぞ。 そんな風に優しく諭そうかと悩んでいると佐緒里が隣で呟いた。 「うーん、月奈ちゃんは何事も言い過ぎちゃうクセがあるからね」 「あー、それで全生徒から反感を買いまくってるんだろ」 「ううん。むしろそんな姿に皆が惚れ惚れしちゃうんだよ。わたしも月奈ちゃんカッコいいと思うな〜。憧れちゃうもん」 こんなのに憧れてるのか。確かにこのふてぶてしいまでの態度のありようは凄いとは思うけど……少なくとも年下の女の子に羨望を向けたくないな。 「ちなみに皆って言うのはこいつらを含めてのことじゃないよな」 そう言って梶野と夕を指差す。 「うーん、どうだろう。本当はそういう風に思ってるのかもしれないよ?」 「「それだけは絶対にない」」 こいつらも相当懲りてるんだろ。というより洗練されてる? 「隆一は月奈ちゃんのことどう思ってるの?」 「天上天下、唯我独尊」 この世に自分より尊い存在は全くないとかいう、超自己主義な意味。 「良い褒め言葉だな」 「はあ? どうしてそうなるんだ。語意を理解した上で言ってるんだろうな」 「なんかかっこいいからに決まってるだろっ!」 「偉そうに言うことかっ!」 「そうだよ月奈ちゃんっ。そんな褒められるような意味じゃないよっ」 「……えっ。違う? 全部漢字で書いてあるのに?」 「違います。四字熟語辞典に載ってる言葉が漢字で書いてあるからといって、あ行からわ行まで全て意味までカッコいいわけがないだろ。竜頭蛇尾って調べてみろ。キレがいいのは最初の二文字だけだぞ」 「一応訊くが、意味はなんだ」 「出だしの勢いはいいけど、あとはぐだぐだって意味」 「おお、もしかして隆一って頭いいのか」 「どのくらいかはわからないな。編入試験受かったんだからそれなりにいいんじゃないか? 俺が言うのは癪だけど」 「自分でもわからないのか」 「別に試験の点数が見れたわけじゃないからな……って、俺の話はどうでもいいんだよ。ほら、次のゲーム始めるぞ」 「えー。もうちょっと自分語りすればいいのにー」 横から加宮の野次が飛ぶ。 なんで女の子っていうのは他人の事を訊きたがるんだろうか。男達の会話では自分から話す事はあっても、催促することはほとんどない。非情に思われるかもしれないが、それが上手な世渡りの方法でもある。 加宮は俺のことを流し目で訝しげに見る。まあいいや、と呟いた後で元の気力溢れる表情に戻った。少し紅潮した頬。最後に全員の表情を確かめるように見つめて、宣誓する。 「じゃあ次のゲーム、スタート!」 ――Change:月奈⇔梶野 相手側の背中が見えなくなり、数分待機。さっきまでの慌ただしい日常と相まって、急に静寂の度合いが強まるのを感じる。月奈はさっきから胡坐を組んでだらしなく座っている。自分の事を女の子だ女の子だと主張する割に、そこに態度や振る舞いが伴わない。矛盾。空気を重めに吐き出す。 「月奈、その座り方は女の子らしくないからやめとけ」 「ん? ああこれか。じゃあ女の子らしく床に寝転がることにする」 そう言って床と平行に寝転がる月奈。 「ううーん、ひんやりとして気持ちいい。隆一もやってみたらどうだ」 「お前な……誰が踏んだかもわからない床に寝っ転がるなよ」 「一応、生徒が掃除した後だから大丈夫だろう?」 「そんなわけあるか。高校生にもなって真面目に掃除してる奴なんて天然記念物並みの希少価値があるだろ」 「そういうものなのか?」 「ああ。私立だったら掃除のおばちゃんとかがやってくれるけど、公立の高校は生徒らで済ませるからな。そんなもんテキトー清掃するに決まってる」 「うーん、それでもちゃんと掃除してるのかもしれないぞ? この学校新しく建て替えたばっかりらしいからな」 「それでもちゃんと掃除しない奴はしないと思う」 「いや、自分の部屋のレイアウトを変えたら無性に掃除したくなる現象と同じかもしれない」 「例えが家庭的でとてもわかりやすいけど、途端に生徒の善行がくだらない物に思えてくるな……」 しかもあまり的を得てるように思えない。 「隆一の発想が貧困だからそうなるんだ」 「たとえ話をしたのが誰なのか言ってからそんな口を訊いてくれ。というかお前はどうしてそこらの生徒の肩を持つんだ」 「そんな愚痴を叩くから髪が首にちくちく刺さってきて痛いんだぞ」 「……お前のそれは愚痴じゃないのか?」 それにしても無防備な体勢だ。長くて少し癖のある髪と対照的な幼い顔つきがあどけなさを醸し出すというか。黙っていれば可愛い顔立ちをしているのにもったいない。あとそれ以上足を動かすな。スカートがどんどんまくれて、見てはいけないところまで見えそうだから。 「月奈、スカート危ない」 「別にスカートが凶器になるわけじゃないだろ」 「そういうことじゃなくて……」 ああ、ちゃんと言わないとわからないのかこの鈍感少女は。 「下手したら中まで見えそうだからちゃんと隠せってことだ」 「そうか、見たいのか」 「は?」 スカートの裾を人差指と親指でつまんでわざとらしくあげる月奈――っておいおいおいっ。 「ほらほら、瞼を覆ってちゃ何も見えないぞ」 「お、お前はなにをやってんだこのバカっ!」 「セルフスカートめくり。隆一はこういうのに興味のあるお年頃なんだろう?」 「そういうこと訊いてんじゃないっ。どうしてやってんのか訊いてんだよ早く隠せよっ」 「おー、珍しく隆一が狼狽してる」 「も、もう目を開けていいか?」 「いいぞ。隠してないけど」 こいつここぞと言わんばかりに男心を弄んでやがるっ。 「だから隠さないと無理だって言ってんだろっ」 「……覗こうともしないとは思ったより固い頭をしてるな。指の間から覗くくらいのことはするかもと思ってたのに」 「というよりお前の行動が奇抜すぎて、本当に予想の斜め上ばかり行くもんだから対応が追いつかないんだよっ」 「……褒めてもなにもあげないぞ?」 どの言葉の節を抜き出したら俺がお前を賛美する意味で言ったことになるんだっ。 こうやって遊んでいるうちに敵が来たらどうしよう。今、俺は何もできないし月奈は俺を弄ぶことに夢中だから、狙うのにとても好都合だぞ、まったく。 と、思ったがだんだん慌てふためく自分の姿が想像できてきて、妙な冷静さが生まれていた。 「隆一、もうスカートはちゃんと戻したから目を開けていいぞ」 月奈は俺の反応を経て一通り満足したらしい。顔を覆う手をどける。数分ぶりに目に差し込んだ光が一瞬だけ錯覚のようなぼやけた視界を生む。だんだん意識が漂着して、輪郭が確かなものとなる。目の前に立っている月奈はもうスカートに手をかけていなかった。 「さて、無駄話は終わりにしてそろそろ行くか」 「ああ」 ちなみに無駄話を始めたのはお前だからな。言わないでおくけど。 その後はしばらく月奈の独壇場だった。予想通りの流れだと言ってもいい。一瞬だけ窓が音を立ててリノリウムの床が震える。躍動感のある身のこなしで敵の手を払うことも避けることもなく、あっと言う間に3つの尻尾を掻っ攫っていた。 というかなんでそれだけの事が出来るんならどうしてさっきやらなかったんだ? 片方に力が偏り過ぎてしまうから、月奈なりに気をつかったんだろうか。いやいや、佐緒里のことしか考えていない月奈のことだ。それはないだろう。まあでも、佐緒里を捕まえた時点で牙を向いてきてもいいと思ったんだけど……。 「なあ、前のゲームでどうしてこういう風にしなかったんだ?」 「こういう風って?」 「そんなに強いんなら俺たちを一瞬で負かすことくらいできただろ」 「あ、そういうことか。夕が策があるって言うものだからそれに乗ってみただけのことだ」 「お前が佐緒里以外の言うことを訊くとは驚きだな……」 「ふところ餅一つで手を打った」 「安請け合い過ぎやしないか」 というか夕は思った以上に頭が回るな。いや、昔しでかした行動の数々を想起すれば当たり前のことなのかもしれない。始終落ち着いた様子でいると思えば、突飛に思いがけない行動を起こして注目を集めた過去を思い返す。あれはある程度計算づくでの行動だったのだろうか。 「あと残ってる奴は佐緒里だな。よーし、余裕だ」 か弱い女の子一人を追いかける構図ってなんだか気が引けるよな……でも、勝負だし仕方ない。割り切ろう。後で変態扱いされても正当な理由はあるから言い返せるし。 ……別に大義名分がないと動けないわけじゃないので悪しからず。 「ってことで月奈――ってあれ?」 月奈がいない。さっきまで隣を歩いていたのに。あとは自分がいなくても勝てるだろうと見越してどこかへ行ってしまったんだろうか? 「誰か、月奈がどこにいったか知らないか?」 「るなちーはね……ってあれ? いなくなってるっ」 「うわマジだ。あいつどこ行きやがったんだ?」 捕まった梶野さんも夕も加宮も知らないみたいだ。気配を感じさせずにふらりと姿をくらます。忍者にでもなったつもりなんだろうか。 このゲームが始まった時は明るかった日差しの膜が赤い色を帯びてきている。空高く位置していた太陽は地平線より少し高く浮き、あと数刻もすれば夜の帳が空を覆い始めるだろう。窓の下へとグラウンドを俯瞰すれば、まだ部活に精を出す生徒ら。活気に溢れた声が心に不思議な高揚感を植え付ける。 ガタッ 「……ん?」 机が左右に揺れた時の鉄と木が入り混じったような音が耳に障る。すぐ右の、1-3と書かれた表札が頭上にある教室から聞こえた。逡巡せずにその教室の戸を横にずらした。 「佐緒里はいませんかーっと」 教室を見回して――あ、いた。教室の隅。隠れずにこっちを見て驚いてる。 「あー……えっとー……」 「これは逃げなきゃー……だよね……」 気まずい。すごい気まずい。普段こういうアクティブな接し方をしてないせいか、この状況はすごく落ち着かない。 「あれ、桜田君どうしたの? ほらほら佐緒里も逃げないと」 「そうだぞ隆一。ガバッと襲っちまえ」 「うわー、変質者だー」 「梶野さんには言われたくないですけどねー」 って、無駄話をしてる場合じゃない。佐緒里を捕まえないと――って、もう教室にいないっ。 教室を出て佐緒里の逃げた背中を追いかける。すると、 「おわっ!」 目の前に小さな影が飛び出して立ちふさがった。思わずつんのめって勢いを殺すが、足を止められずにその影と一緒に倒れ込む。 「ごめんっ」 「ひゃわっ!」 あいつつつ……どこにも怪我はさせてないだろうな。できるかぎり体重はかけないように気を付けたと思うんだけど――って、考える前にどかないとっ。 まず目を開いた。眼前に女の子の顔があった。幼い顔つき。大きなブラウンの目。陶器のような滑らかで、色の白い肌。あまりに精巧な人形のような美しさを持ち合わせていたものだから、体が硬直してその少女から目を離せなくなっていた。 「あ、あの……」 「――おっと、ごめん」 我に返って反射のように素早く身を離す。大きい髪飾り。リボンの形をしている。 ……ってあれ? この子に会ったことがあるような気がするんだけど。 「大丈夫か?」 「は、はい。だいじょーぶ、です」 「頭とか打ってないな?」 「頭は……えっと、だいじょうぶみたいです。桜田さんが庇ってくれたので」 確かに俺は倒れる際にこの子の後頭部に手を回したが……あれ、名前教えたっけか。 「そっか、よかった」 無言で頷く少女。やっぱりどこかで見た気がする。見覚えがあると言うよりは、始めて見た感じがしないというところか。 「どっかで俺と会ったことある?」 「ひうっ。そ、そんなことないですよ?」 「そうか? うーん、気のせいだったか」 「そ……それでは先を急いでいるので失礼します。ご迷惑をおかけしました」 「ああ、引き止めて悪かった。気をつけてな」 女の子は小さい体でぺこりとお辞儀をするとそそくさにその場を立ち去って行った。 本当にどこかで見た様な気がするんだけど……ま、いいか。 「隆一、あの子と知り合いなの?」 話が終わったのを見計らって、夕が口を開いた。 「そうだと思ったんだけど、違ったみたいだ」 「新しいナンパの手口なのかと思った」 「失礼だな。そういうことをする奴もいるだろうが、これは違う」 「でも隆一、よくあの子と普通に話せたね」 「は? 別に特別おかしい子じゃなかっただろ。何言ってんだ?」 「いやそういうことじゃないんだけど……まあいいや。とにかく、佐緒里を追いかけなくていいのかい?」 「ああっ、しまったっ」 佐緒里が逃げた方を見ればもう既にその陰も形も見えなく――というわけでもないらしい。 「なんかごたごたがあったみたいだけど、何かあったの?」 佐緒里は俺の数歩先できょとんとした表情を浮かべていた。俺が追ってこなかったから、おかしいなあとでも思って戻ったんだろうか。 「ああ、ちょっと人にぶつかっちゃってさ」 喋りながら近寄る。 「ええっ。怪我してない? 保健室に行く?」 「そんな大したもんじゃないって」 ちょっと膝が痛む。そういえばさっきの子は痛むところはないと言っていたが、本当なのだろうか。我慢をしていなければいいのだけれど。あれだけ細い線の体つきをしてると、ちょっとしたことで大きな怪我をしてしまわないかと心配になる。余計なお世話だっていうのはわかっているけど。 それにしても佐緒里は無防備だ。まあゲーム中だっていうのをわかっているんだろうか。 「きゃっ」 そうして自然な動作を装いつつ佐緒里の後ろに付いている尻尾に手を伸ばす。 その刹那、より強い力で手首を握られた。 「……え?」 「佐緒里をいじめることは許さない」 月奈が俺の手首を掴んで、佐緒里の尻尾を引き抜く妨げとなっていた。その隙に月奈の目配せを理解した佐緒里が逃げていく。 「お前、なんで……」 「佐緒里をいじめようとするからだ」 「はあ? いじめるも何もこれはそういうゲームだろ」 「……理屈はどうでもいい」 変色するほど強く握られた手を振りほどこうとするが、月奈はさらに力を入れてそれを許さない。後ろに駆けていった佐緒里の姿が見えなくなる。もう追いかけても無駄だと認めて力を抜くと、月奈は自然に力を抜いていった。 「ごめん。本当に気付いたら体が動いていたみたいだ」 「お前は生粋の佐緒里好きだと思うよ……」 「これは本当に褒め言葉として受け取ってやろう!」 「嫌味な意味も含まれているのは無視かっ」 「それも好意的に解釈していいんだろう?」 「お前は本当に清々しいっていうか、たくましい奴だな。つくづく感心する。さて、俺は佐緒里を捕まえに行くんだけど……月奈、邪魔するなよ?」 「うん、それは無理かもしれない」 「えーと……俺の聞き間違いだろうか」 「というか無理だ」 口を真一文字に結んで黙りこくっていると、月奈はそのまま続けた。 「だって佐緒里がおめおめやられるところを見逃すはずがないだろう?」 「だったら前のゲームでどうして――ってそれは餅で手を打ったのか」 「わたしとしても苦渋の決断だったな。悩んでいるうちにもう佐緒里は捕まっていたんだ」 お前の天秤はどうやって采配を取っているのか、しょっちゅうわからなくなるんだが。 「ということで徹底的に邪魔するからな」 声を出そうと喉を震わせた時にはもう月奈の姿はそこにはなかった。 これは、勝てるのか? 月奈と1対1。 味方はいない。 俺が捕まれば。 即、全員解放。 佐緒里を見つけて背後から忍び寄っても、俺らの間に月奈が挟まって勝利を許さない。別に月奈は佐緒里にべったりくっついているわけではない。理由はわからない。余裕をかましているんだろうか。 そんなことを考えつつ、佐緒里の尻尾を掴むために何度もアタックをかけた。月奈はその都度現れて弊害となる。佐緒里の行く先を先回りしても、夕や梶野の背中に隠れて佐緒里に近づいても、先手を打っているのはこっちだから相応のアドバンテージはあるはずなのに、なぜか月奈が後から出てきて結果として佐緒里を逃がしてしまう。そんな実を結ばない攻防が続いた。 「まったく、どうすりゃいいんだ」 「小美野妹も容赦ないねえ。これじゃ隆一の勝機は薄いんじゃないか?」 「それがわりと的を得てるから困る」 ちなみに夕は月奈のことを小美野妹と呼ぶ。 俺が佐緒里の尻尾を奪取できないように、佐緒里も俺に札を張ることはできないだろう。だからこれはどちらかが根負けするまで終わらない。 「そういえば夕はふところ餅を使って月奈を懐柔させたんだったな。まだ余ってないか?」 「いやーそれが全部渡しちゃったんだよね。本当は一個だけ渡す予定だったのに一袋ごと盗られちゃってさ。あ、でもその取引は佐緒里ちゃんが捕まった後だから今は無理じゃね?」 「いやそれもそうだけど――ああもう、正攻法じゃないと無理なのかよ」 「苦労するよね。まあ俺は佐緒里ちゃんに合法的に触れるんなら、這ってでもやるけどさ」 「そりゃ、腕を腰に当てて言うことじゃないな」 「じゃあ空を仰いで夢を追いかける少年風味でいんじゃねっ」 「ああもう、勝手にしろ」 「はははっ。美湖さんや、どうやら隆一は勝つためのことで頭がいっぱいで無駄口が叩けないそうですぜ」 「本当だねえ夕さんや。ウチらもなんかマンネリとして暇だから邪魔の一つでもいれて入入れたいのに。あ、どうせだし茶化す?」 「おおっ、ノリがいいね。どうする?」 「うーん。例えば例えばー、足引っ掛けたり脇をくすぐったり頭をぐりぐりやったりするのはどうかな?」 「ほっほーう。お主もなかなか悪よのう……」 「いえいえお代官様ほどではないですぜ」 「……これって本当に悪なのかい?」 「悪にしてもしょぼ過ぎるかな」 なに後ろで漫才しているんだろう。丸聞こえだからそれは企みじゃないだろうに。 後ろの雑音を無視しつつ視線を正面に据える。とにかく月奈のいないうちになんとかしないといけない。正面向き合って勝てる相手じゃないからだ。目の動きと同じ、もしかしたらそれ以上の速さで俺の手を振り払うのだ。隙を見ていくほかないだろう。 っていうかなんで俺はこんなただの遊びに真剣な気持ちで挑んでるんだ。こんなの負けたってべつにペナルティが科されるわけじゃないんだから、ほどほどにやればいいだろ。それに元々の目的は俺に教室案内をするからなんだろ? なら本当に勝敗にこだわったものじゃないし、別にこのまま負けちゃってもいいんじゃ―― 頭の上でそんなことを考えている時だった。廊下の曲がり角に差し掛かると人の気配がしたので、また誰かにぶつかることを繰り返さないように足をとめた。そうして通り過ぎる人を待つ。ただ、そこで出てきた人物は、 「あっ」 「え?」 佐緒里だった。 考えるよりも先に尻尾へと手が伸びる。まるで脊髄反射のような速さで腕を伸ばし、その尻尾を引き抜いた。 「きゃっ!」 「……あれ?」 取れてしまった。あまりに味気ない終わり方。拍子抜けだった。今までの苦難が空に溶けてしまったかのように、やけにあっさりとした終わりだった。 「これって俺の勝ちってことでいいんだよな?」 「うん。えへへ……悔しいな」 「そうなのか? 悔しそうには見えないけど」 「う、そういう顔してる風に見えない?」 「笑ってる風にしか」 「ひ、ひどいなあ」 閑話休題。 「ところであの、楽しめてる?」 このゲームのことか。 俺の教室案内というのは建前で本当は皆でわいわい遊ぶのが目的だったんだろう。さんざん振り回されたせいで思い通りに事が運ばなかった。 整然と並んでいる蛍光灯を仰ぎ見る。そのどれも、まだ昼光色の輝きを失っていない。新設の校舎らしくひび割れた個所がどこにも見当たらず、まだほとんど新品の窓の桟が目に新しい。 「もちろん。思ったよりも楽しいな」 楽しいか、と訊かれれば実はまだ誰も捕まえてないせいでそこまで楽しめてはいない。でも全然楽しくないわけではないし、退屈だと言って佐緒里を悲しませるのは避けたかったのでこう言っておくことにした。 「あっ!」 俺の言葉を受けて佐緒里がほころぶその刹那、耳をつんざく声が廊下中に木霊した。背中に垂らした長髪を大きく振り子のように動かしながら、 「も、もしかして佐緒里あの狼の手に堕ちたのかっ!?」 「あ、月奈ちゃん。そうだよ〜。ごめんね」 そんな語弊のある言い方しなくても――あと佐緒里も否定してくれ。ツッコミを入れる側ではないのはわかってるけれど。 「わたしが不甲斐ないばかりに。ごめん」 「ええっ。そんなことないよ。……あ、そうだ月奈ちゃん」 「ん」 「さっきは言い損ねたけど、もうあんなことしちゃだめだよ?」 「あんなこと……って?」 佐緒里の言葉を受けて、珍しく月奈の肌が色のないものになる。普段から感情をほとんど制することなく天衣無縫に飛び回っている反面、感情を読み取りやすいのが彼女らしかった。 「敵なのにわたしの事を守ること。やっぱりちゃんとルールは守ろうよ」 「ううぅ。で、でも」 まるで控え目におもちゃをねだる子供のように、内股になってもじもじしながら籠る様な声を漏らす月奈。 「佐緒里の……味方にいたいんだ」 「すごく嬉しいな。わたしも月奈ちゃんのお姉ちゃんだから、味方でいてあげる。でもこれは遊びだから、敵同士でも味方なんだよ?」 小動物のように小さく首をかしげる月奈。よくわからないらしい。 「ええと、月奈ちゃんはどうしてわたしを守ろうとしてくれてたのかな?」 「佐緒里に危害が……及ばないようにしたかったからだ」 「月奈ちゃんは優しいね。でも、今はそういうのやっちゃだめ。わたしたち敵だけど本当は仲良しこよし。さっきの私達は敵同士だったけど、本当は家族だから仲良しでしょ? そういうことなの。だから危ない事なんて滅多にないの。だから月奈ちゃんは月奈ちゃんの味方と協力して相手に勝つ。それがルールだよ。そうすれば皆楽しく遊べるよ」 まるでやんちゃをした後の子供を優しく諭すように小さく小さく言葉を繋ぐ。高校生の月奈にそんな対応をすれば子供扱いするなと言って怒ってしまいそうだが、佐緒里の目を見てきちんと頷いている。言っている事が正論なだけに言い返す言葉がないのだろうか。月奈も悪びれる様子はなく、ただただ佐緒里の言葉を真摯に受け止めていた。 光が床を走って廊下の向こうにまで延びている。滲みだした夕焼けが制服を少しだけ朱色に染めて、後ろに平たい影を作り出した。 「わかった。じゃあ今度からたとえ佐緒里が敵になってもちゃんと倒す」 「うん。わかってくれてお姉ちゃん嬉しいよ」 実に姉っぽさを微塵も感じさせない笑顔がそこにあった。 |