「さーて! 次行くよ次! なんかすごいしんみりしてるからテンション上げ上げでいきますよー! まきまきだー!」
 加宮がいきなり今さっきまでの雰囲気を思い切りぶった切って超変則カーブを投げてきやがった!
「ていうかアレだね。月奈ちゃん強すぎだね! そのためにゲームバランスを取ってみたんだけどさ〜。さて、今回はグーとチョキだけでジャンケンしてチーム分けするんだけど、いいよね?」
「いいんじゃね。隆一もそろそろ追われる側のチームに入りたいだろ」
「面白いこと思いついた」
 月奈が凛とした眼差しで挙手をする。そして一点の曇りもない眼で大言壮語を自信満々に呟いた。
「わたし一人が追う側のAチームになるから、皆は逃げるBチームっていうのはどうだ?」
 皆が言葉を返せずに自然と沈黙が出来上がる。窓から望む朱に染まったおぼろ雲の華美さが目に焼きついた。多分これが最後のゲームとなるだろう。
 その降りおちた静謐を払ったのは夕だった。
「えーっと、それは俺ら全員逃げればいいってことか?」
「うん」
「キミはそれで俺らと対等に張り合えるの? さすがの小美野妹でも簡単に終わるんじゃね?」
「そんなことない。さっきのゲームだってわたしひとりで佐緒里だけ残してみんな捕まえたんだ。だからわたしだけでも十分だろう?」
「た、確かに……」
 暗に俺がいらない奴だったんだと言われてる気がしたが、月奈は事を包み隠さず暴露する性分だ。口に出さないということはそう思っていないと考えていいんだろう。
 パンッ、と加宮が両手を合わせて音を鳴らし、注視を浴びる。
「はいはいっ。反対する人はいない? いないね? じゃーこれで始めるよっ」
「後悔しても遅いっていうか、これは月奈に一泡吹かせるいい機会だね。ふっふっふ。覚悟しといてよ? 後で泣きべそかかせてやるからなっ!」
 月奈が泣きべそをかくなんて想像つかない……って、そういえば始めて学校に来た時泣いてたな。今さっきまで忘れてた。
「これは合法的に月奈にセキハラするチャーッンス。いしししし」
「妄想は頭の中だけに留めましょうね」
「はっ! 俺、口に出してたのかっ?」
「そりゃあもう思い切り。ほら、月奈に睨まれてますよ?」
「じー」
 侮蔑の意味をはらんだ視線が梶野さんに突き刺さる。いわゆるジト目というやつだ。
「さ、さーってと。俺たちも逃げるとするか。なっ、隆一っ」
「あからさまだなあ……」
 背中に強い視線を浴びながら月奈から急いで遠ざかることにした。




「――それで、だ」
 逃げた後、結局みんなで集まって談話をしようと梶野さんが切りだした。その梶野さんが始めに口を開く。
「なにか策のある奴はいるか?」
「策? いるんですか?」
「いらないかもしれないが、あったほうがいいだろ。備えあれば憂いなしだ」
「ちなみに前のゲームはどうしてたんですか?」
「特になかったな」
 俺と月奈でチームを組んでいた時、月奈は一人でほとんどの奴を捕まえた。しかし、それは一人で複数人の尻尾を根こそぎ奪ったわけではない。四散していた相手を一人ずつ相手していったのだ。
 そこに相手の意図は伺えなかった。
「俺の策は、今回はバラバラにならないで固まって動いてみようぜってことだな。サシじゃあいつに痛み分けにも持ち越せなかったんだ。数で攻めれば多少マシだろ」
「いいねそれ。そうしたら小美野妹も少しは攻めづらくなるかもしれないし」
 夕が相槌を打つ。
「ねえねえ、逃げるんじゃなくてこっちから攻めてみたらどうかな?」
「なんだそれ。虚を突くつもりなのか?」
「そうそう。あとウチらみんなで行けば大丈夫かなーって思ってさ」
「こっちから攻めるねぇ。いいじゃねーか。その案も使ってやるよ」
「よーしっ」
 賑やかな空気が新鮮だった。昔の自分を回顧する。備え付けられた鉄格子。その向こう側の世界。一節一節の他愛のない談笑は俺にとって、天蓋に静止して瞬く星々に手を伸ばすようなことだった。しかし今やその天蓋は崩れ落ち、俺はその破片が降り注ぐ空の下にいない。
ただ、もしかしたら風に乗って運ばれてきたカケラがこの月宮町に舞い落ちるかもしれない。そのことは懸念しても対処のしようがないことだ。
「――ち?」
 蓋をして閉じ込めていた記憶が漏れ出して心に付着する。
 ああ、思い出してもろくな過去がないな。叱責されたことや、挫折の記憶。子供心に感じ取った自分自身の限界が懐かしい。
「――う――ち?」
 それと対象に今の環境は素晴らしい。誰もが生き生きとしている。誰も昔の俺の事を知らない。いや、梶野さんは知ってるんだったか。でもあの人はそのことについて踏み入れようとしない。大人の分別というやつだろうか。そのおかげで俺も充実した毎日を送れているというものだ。
「ねえりゅういち、きいてる?」
「……ん?」
 佐緒里の言葉が意識を一瞬で床の上に立っている俺へと戻す。佐緒里が不思議そうに首を傾けてこっちを見ている。
「何か言ってたか?」
「あれれ、本当に聞いてなかったの? 隆一も何か案があるかなって話なんだけど」
「そうだな……」
 要は月奈に隙を作ればいいわけだ。個人じゃ勝ち目が薄いから混戦に持ち込むことによって油断を作り出す。それが作戦の一部。しかし本当に勝てるかはわからない。なにせ不確定要素が多すぎる。どうにか月奈の動きがわかればいいんだけど。
「あっ」
「どうした隆一。なにか良い案が浮かんだのか?」
「あーえっと……」
「ためらう事はない。好きに言ってみろ。そのために集まってるんだ」
「でも」
「判断するのは俺らだ。それにもったいぶられたら気になるだろ」
 言い逃れはさせないぞ、ということか。
「――じゃあ言うけど」
 我ながらひどい考えが浮かぶもんだなあと心の内で苦笑いしつつ、淡々と案を述べることにした。





 勝負は一度きり。失敗は即敗北に繋がる。誰もがそのことを胸に刻んでいた。柱の陰から月奈の後ろ姿を目で追う。誰もが口を閉ざして緊張の色を滲ませていた。
「準備はいいか、みんな」
 全員が目と目を合わせて頷く。ただ佐緒里だけは後ろでおどおどした様子で困った表情を浮かべていた。
「えっと……その、本当にやるの?」
「佐緒里には悪ぃけど、やるぜ。隆一の策はアレだっつっても勝算がある」
 誰も反論をしない。それだけこの策に望みを託しているんだろう。
 心臓が胸を叩く。手から汗がにじんで、緊張感が思考をせき止めるイメージ。できる限り考えるより先に体が動いてくれることを願いながら一歩を踏み出した。
 大仰に。足音深く踏みしめて。振り向く月奈。気に留めずそのまま姿を現す。
 言葉を交わすことなく俺、夕、梶野が左右に分かれて走り出す。
「るーーーーーーーーーなちーーーーーーーーーーーーぃ!」
 加宮の声だ。俺たちが迫っているにもかかわらず月奈は眼球だけを動かして声のした方を見る。
「えいっ」
 バサッ!
「きゃっ」
 布が大きく翻る音。
 これがたった一つのくだらない作戦。
 誰かが佐緒里のスカートを思い切りめくって、その中身を凝視している月奈の隙をついてしまおう作戦! ああ、もうちょっとマシな案はできなかったのか……。
 ちなみにスカートを自分でめくるのは恥ずかしくてできないと佐緒里が提言したので、誰かが代わりになるのだけれど……さすがに男が女のスカートに手をかけるわけにはいかないので、加宮が行うことになった。他人にやられる分なら恥ずかしくないということなんだろうか。いや多分気が紛れるからという意味合いだろうけど。あと、度胸の意味合いも含まれているんだろ。
 だから今月奈は佐緒里のスカートの中身……素直にパンツと言った方がいいんだろうか。何はともかく月奈がそれを見て放置した紙粘土のように固まっている。俺たちはパンツの中を見た瞬間月奈に殴打されることがわかっているので、後ろは振り返らないという取り決めになっていた。
「今だ! 張るぞ!」
 梶野さんの威勢のある声が心奥に響く。同時に月奈が我を取り戻した。
 でももう遅い。俺たちはすでに札を握ってその手を月奈の胴体へと伸ばして、札をはりつけていた。体いっぱいに伸ばしているため俯いたままだけど確かに感触はある。
 むにぃ。何かの感触? やたら弾力があるような。女の子ってこんなにぷにぷにしてるものなのか。まあいいや。それよりも始めてまともに誰かを捕まえられたことが嬉しい。
 手を離してむくりと垂直に立つと、目の前には耳までリンゴのように赤く染まった月奈の姿があった。手を胸の前で交差させて腰をよじって、俺から一歩引く形でわなないている。
「な……な……」
 夕と梶野の様子を見る限り、なんとか勝ったらしいな。でもなんか不穏な空気が漂っているような気がする。なんだろう、もしかして騒ぎすぎたのか?
とか考えていたら月奈がいきなりわめきだした。
「ななな、なにすんじゃーっ!」
「え、そんなに怒ってどうしたんだ? ちょっとまて。そのまま来るな目が怖いっ」
 胸の上に張り付いた札を前後に揺らしながら大股で迫る月奈が怒気をまき散らしながら迫ってくる。……胸の上? えっと、じゃあさっき触れてしまった時の感触って――
 わきわき。指先を動かす。感覚的に残っていた人肌の温かみが回想される。いきなり体が熱を帯びて頭の奥が熱くなった。熱の原因を察するのが遅れてきた波のようになる。
「隆一の、バカ――っ!」
 瞬きする間もなく、腹に痛撃がめり込んだ。足をふりあげた時にスカートの中が垣間見えた気がしたが、そのあとの痛みに意識を全て持っていかれていた。
 う、かなり痛い……歓迎して呼ばれてたはずなのにどうしてこんなことになってんだ。というか、さっき弄ぶように自分からパンツを見せていたのになんで怒ってるんだこいつはっ。わけが……わからん。
「月奈ちゃん、隆一がトリップしてるからっ」
 ……あ、ダメだ。意識が飛びそう。おお、人が霞んで見える。視力の悪くなった人って……えっと何考えてたんだっけ。
「隆一もしっかりしてーっ!」
 ぐわんぐわんと、強く肩を前後に揺さぶられる。頭が据わってないせいで余計に意識が遠のく。
 ああ、これやってんの、佐緒里か?
「きゃーっ! 目、閉じちゃダメっ。閉じたら死んじゃうっ!」
「――い、や」
「あっ、気がついたっ」
 眩い光と共に、上段に手の平を大きく開いて構えた佐緒里が目に入った。俺が何も反応を示さなければこのままビンタでもするつもりだったんだろうか。
「ちゃんと、生きてるから」
「……よかった。月奈ちゃん、隆一はお父さんみたいに慣れてないんだからそんな乱暴なことしちゃ、だめだよ?」
「おっ! つーことは殴られるのと等価って交渉すれば、月奈に変なことできるんだなっ!?」
「死ねっ。近寄るな変態っ」
「ぐふっ。じょ、冗談に決まってんだろ……」
「ん? そうなのか?」
 月奈はちょっとしたことで殴る蹴るの暴行に走っちゃうところをなんとかしないとヤバいな。獰猛な動物と変わりない。他人に被害を加えなければいいのだけれど、言って効くような奴じゃないしな……。
 まだ腹に残った痛みを手の平でさすりながら言った。
「悪かったな。偶然とはいえその、変なとこ触っちゃって」
「いや、わたしもすぐに蹴ったからな。ちょっと手加減すればよかった」
「アレはちょっと手加減なかったな。じゃあおあいこってことでいいか?」
「それでいい。それで梶野、次はどうする?」
 くるりと反転して、遅れて運ばれた長髪が斜陽に照らされる。
「ま、そろそろ終わりにしようぜ。外見てみろよ。もう部活の終わる時間だから片づけに入ってる。お前らもいい汗かいただろ」
 外を見ると吸い込まれるような黒い空が一面を覆っている。ハードルを2つ、3つ重ねて運ぶ陸上部や、土ならしを使ってグラウンドを平らにする野球部の面々。大きなゴールをゆっくりと地面に寝かせているのはサッカー部。各々が帰るための片付けをしていた。
 梶野さんの言葉を受けた皆は今日の出来事を振り返りながら話を弾ませつつ、荷物を担いで下駄箱へと向かう。俺もその背中を追いかけていこうと歩みだすが、すぐに軽くつんのめった。制服が引っ張られている感覚を肩に感じつつ踵を返した。
「月奈か。どうしたんだ」
「……ちょっとだけ訊きたい事があるんだが」
 そこまで言うと、急に言葉を区切って間を作る。何かをためらう気持ちがひしひしと伝わってきた。立ち止まった俺たちへの対応に困惑している佐緒里には先に行くよう言葉を投げて促しておいた。やがて人が見えなくなると――憶測で梶野と美湖と夕あたりが盗み聞きをして佐緒里は後ろでおどおどしている気がするが――月奈は重い口を開いた。
「その――感触とかどうだったんだ?」
「え゛?」
 なんの? と言いだしそうになりつつもそれを呑みこんだ。
「あのだなっ! わたしはこう見えても胸が小さいんだっ!」
「お、おう」
 月奈の気迫に押されたせいか返答するための言葉が宙に浮いて消える。
その声量だと先に行った奴らに聞こえるんじゃないか……ああ、水を差すつもりはないけどさ。
「だから、もしかしたら男の子みたいな固い胸をしてたらどうしよう――ってこら、なんで笑ってるんだ」
「い、いや? わ、笑ってねえよ?」
「言葉の節々から笑いを堪えたような声が漏れてるんだが」
「ふっ、あはははははっ! も、もうダメ腹痛いっ」
 月奈はこれだけ暴虐武人に振る舞っていても、こういう部分だけは自信がない。前、自分の女の子らしさの有無について言及してきたことがあったけど、これもその一種なんだろう。つーか佐緒里もそうだが月奈も自分の魅力についてわかっていなさすぎだ。
 とっても面白い反応だな!
「笑うなっ。いいから質問に答えろっ」
「あ、ああ。えーっと……つまりは胸を触った感想を言わなければいけないのか?」
「ああ、頼む」
 ……っておい、どんな羞恥を受けさせる気だ!
 そう声を大にして言いたい。しかし月奈の表情があまりに真剣だったので、はぐらかすのは無理だと悟った。どうして、こんな暴露大会みたいなことをしなきゃいけないんだろう。これじゃただの痛み分けだ。
まあ、こいつのことだからはぐらかすことを良しとはしないだろう。それに感触が堅かったと嘘を付けば、本気で悲しい表情をするのは自明の理。軽口ひとつも許されない気がする。まったく、困った奴だ。
混じり気のない陽光の熱を背中に感じた。
もういいや。ぶっちゃけちゃおう。
「柔らかかった。始めての触り心地だった。とにかくすごかった」
「お、女の子らしかったか? 本当に固くなかったのか?」
「ああ。女の子ってすごいな。未知の領域だ。……こ、こんなもんで許してくれないか?」
「許す? 別に隆一が悪いことしたから怒ってるわけじゃないぞ?」
「いや……もういい……」
 損得で考えれば今日は凄く得をしたんだろうけど、なんだか複雑な気持ちがしばらくとぐろのように巻いているイメージが浮かんだ。
 今日のことを振り返ってみる。理不尽な扱いの連続や主題のずれた遊びだったけれど、みんなから歓迎されている事は確かだ。誰も俺の事を執拗に非難せず、子供みたいに駄々を通して皆を困らせることなく和気藹々とした日常を満喫できている。どれもこれも佐緒里たちの人柄が温和だからだろう。夕や梶野さんが場をかき乱すことがあるけれど、率先して居心地の悪い空気を作りあげる輩は身近にいない。もちろん親衛隊は除いて。
 良い感じの仲間の輪が作り上げられていた。
 その夜、突然だけれど俺の歓迎パーティーが佐緒里の家で催されることになった。メンツは夕方の時と並行してそのまま。佐緒里によって豪勢ではないけれどレパートリー溢れた手料理が振る舞われた。食後のクッキーなども自家製らしく、みんなでちょっと大げさに褒めたたえると頬が薄紅色に染めて控え目な笑みを浮かべた。その後、皆でテーブルゲームをした。一方では桃太郎電鉄。もう片方では人生ゲームだった。眩しい一日。充実した時間があっという間に過ぎるのが恨めしくあり、また満ち足りた瞬間でもあった。俺はもう誰かに押しつぶされる毎日を送る必要はない――そう思った日の夕方。





 春先にしては肌寒さが強く残る日だった。ニュースで低気圧が地方全体を覆い尽くしているから冬の終わりのような寒さとなるとかなんとか。そんなことを言っていた記憶が虚ろに頭の後ろを通り過ぎていた。
 家には梶野さん以外の3人がいる。佐緒里は夕ご飯の準備をして、俺と月奈はニュース番組を見てぼうっとしていた。日暮れ前まで外で花壇の手入れときの土の香りが月奈から少しの間だけ漂っていた。
 蝶つがいが軋む音。誰かが玄関に入ってきたんだろう。俺たちの他にチャイムを鳴らさず入る人は梶野さんしかいない。佐緒里はコンロの火を一度止めてそっちへとぱたぱた走っていった。
 やがて梶野さんがこのリビングへと入ってきたので、反射的に顔を一瞥した。しかし表情に視線を合わせたまま硬直する。梶野さんは少し憔悴した雰囲気をまとっていた。後ろを歩く佐緒里がその様子に気づいたのか、心配そうな様子をしている。
 梶野さんはテーブルをはさんで向かい側のカーペットの上にどかっと座ると頬杖をついたまま吐き捨てるように言った。
「俺――教師クビになるみたいだ」








4-1 4-2 4-3 4-4 4-5


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