「ね、トランプしよ」 すべての発端はそれだった。 「……なんで?」 神明家での事。 神明みのりは夕食の後、一人で怠惰に過ごしていた。手持ち無沙汰を理由に、そこらにおいてある漫画を読み漁り、まったりとした時を過ごしていた。そして夜も更けていくと思っていたのだが、突然、叔母である神明水穂が部屋に押しかけてきたのだ。それはもうすごい勢いで。 あまりに速く階段を上るので、すこし身構えるほどに。 「いーじゃんいーじゃん」 何かを企んでいると直感が悟った。実際、夏に溝口さんと田舎に行ったとき、罠(寝袋が1つだった)を仕掛けたのは水穂さんで、事実上前科があるのだ。 そんなことを考えているうちにトランプが繰られて、床に並べられていた。 「神経衰弱ね。負けたほうが1つ言うことを訊くことっ」 「な、意味わかんな――」 みのりが言い終える前に水穂は手を高く振り上げていた。 「じゃーんけんーポン!」 思わずみのりも手が出てしまう。みのりはグーで水穂はパー。 「じゃ、私後攻で」 「ちょっと待ったっ」 「待ったなし。1手につき1分だよ」 「そーじゃなくて!」 「ん? 早くしないとタイムオーバーで負けるよ?」 「だーかーらーっ」 「まさか、今更逃げれると思ってないでしょうねぇ」 そういえば、負けたら言うこと1つ訊かないといけなかったとか言ったような。 ゲームを止めることは不可能。強制敗北にされそうだ。では、この状況を覆す方法は1つ。 みのりは覚悟を決めた。もうすでに戦いは始まっているのだ。 「……か、勝てばいいんだよ!」 「そのとーり」 案の定、みのりは大差で負けてしまった。世の中って不公平だよね。 「さて、1つ命令ね」 ニヤニヤと口角を引きつらせた水穂が要求を押し付ける。 「なに」 最近、いろんな人に振りまわっされぱなしな気がした。 (ゴニョゴニョ。ヒソヒソ) 耳打ちした内容を聞いて、みのりはすこし考え込んだ。 「ふーん。それはおもしろそうだね」 「でしょ! 我ながら策士だと思わない?」 「はいはい」 「決行は明日。ふっふっふ、楽しみだわ」 「こっちはとっても不安だよ」 「いいじゃん。みのりは何もしないんだもん」 「まあそうだけど……」 「どうせ溝口さんと大した進展もないんだし、これを機にさ」 「どうかなぁ。溝口さんヘタレだし」 「ふ、男は時として獣になるのよ……!」 「あ、それは言えてる」 互いにくすっと笑う。互いに思い当たる節があったようだ。 「じゃ、おやすみぃ」 「おやすみ」 ルンルン気分で水穂が部屋を出ていく。鼻歌交じりに階段を降りていった。 「はぁぁ〜……」 ため息。正直みのりには、1つの結果しか浮かばなかった。 例えるならば、勝ち戦に行くようなものだ。あまりに結末が想像できてしまう。 「大丈夫かなぁ。溝口さん」 とりあえず、鉄拳制裁の準備だけしておこう。そう思って風呂へ向かった。 「君とはやっとれんわ〜」 もしくはツッコミの練習だろうか? 前途多難である。 そして、次の日となる。 9月13日。天気は快晴。夏空は少しずつ秋空へと移り変わっていた。生い茂っていた葉も落ちようとする時期だ。 相変わらずの境内。溝口春樹にとって、もう無意識に家から歩いても辿り着けるほど、記憶に染み付く光景だった。 「あ、溝口さんおはよ〜」 「相変わらず早いな。おはよ」 「まったく、困っちゃうよ。そろそろ落ち葉も多くなる頃だから溝口さんも働いてくれないと」 「みのりは俺を年中無休にさせたいのか?」 「うんっ」 迎えてくれたのは相変わりないの毒舌だった。 とりあえず、馴染みの石段に腰を落ち着けた。 特に気に留めることでもなかったが、少し、2人の間隔が近いような気がした。 「涼しいねぇ」 「そうだな」 「秋になると、焼き芋が食べたくなるよね」 「太るぞ」 「大丈夫。溝口さんみたいにデスクワーク派じゃないから脂肪は燃焼できるよ。メタボ〜メタボ〜♪」 「じゃあ痩せるぞ」 「どこが」 「胸」 「……なんか言った?」 その刹那、黒い波動がチクチクと刺さってきた。 「ごめん。冗談だ」 「よろしい」 「痩せているだった」 「こら」 秋の空、みのりのチョップが脳天を直撃した。 「これでも私、着やせするタイプなんだよ?」 「マジか!」 「ごめーん嘘」 屈託のない表情で言い放っていた。 「いちおー、竹箒の場所を教えとくから来てー」 「んー? いいよそんなのー」 みのりがバイト(形式上のみ)をしているとき、急に溝口に声がかかった。 「いいからいいからっ」 みのりは溝口の手をとる。華奢な白い手を視界に留めたままに、溝口は不規則な歩調でみのりの後をついて行った。 「ほら、なかに入って」 到着したのは境内の倉庫で、神社に隣接している。その古い外見が神社にとても合っていた。 目の前には白と黄色の花が一本ずつ、花瓶に差してある。 古い木材のような香りだろうか? それに、思ったより広かった。 「へぇ。けっこう広いんだな」 「まあね」 「それはそうとみのり」 「んー?」 「そろそろ手を離してほしいのだが」 「え、あ、ごめんっ!」 みのりの頬が赤くなる。反応が手に取るようにわかった。 「……で、竹箒はこっちだよ」 「あぁ、そこにあ――」 瞬間、溝口は何かに躓いて、右足から体制が崩れる。片足が地面から隔たると、そこからは一気にみのりへと体が傾いていった。 「危なっ!」 「え? きゃ、きゃあ!」 溝口はみのりを押し倒す形で倒れていく。体の小さいみのりが咄嗟に支えることもできずに、そのまま地に落ちた。 みのりにそのまま体重をかけまいと、溝口は地面に手を突く。 2人の距離、30センチもない。 2人は恐ろしいほどに近づき、そのまま硬直していた。互いに状況を飲み込むまで、しばらく見つめあう。 「み、溝口さん。そんな、せっかちな」 「違うっ。これは事故だっ」 みのりが大きな勘違いをしている。是正せねば。 「で、でも溝口さんなら……」 その言葉に口があんぐり。 は? 今なんと? いやいや、そんな意味はないはずだっ。確かに抱き合うことや、唇を合わせも……してないか。でもっ、同じ寝袋で夜を過ごしたんだし、こういう展開もアリ……って何を言っているんだ俺は。みのりってこんなに大胆だっけか? 膝枕で頬を染めたり、お弁当が美味しいって言われて喜ぶようなそんな表情がころころ変わる子だ。今の(脳内)解釈はやっぱり何かの間違いだ……と思う! 「いいよ……きて……」 みのりはもじもじしながら、頬をすこし赤らめていた。 ちょっとまて。いまので確定したぞOKサインでたぞ! お、男としてここは行くべき……か? いやいや、まだ早いっていうかこんな状況でそっちに入るって……いや、ちゃんとわかりあった状況じゃなきゃ……。ってそりゃどんなロマンチスト思考だ! か、覚悟を決めるべきか? ……ここは度胸が試されるときだろ。行くんだ俺。ここで引いたらキングオブヘタレの称号がつけられてしまうかもっ。 みのりが静かに目を閉じる。後は、唇に唇を重ねるだけ。そのベクトルが静かに近づいていく。ゆっくり、確実に。 自分の鼓動が聞こえるのではないかと思うくらい近くなる。体が火照っているのが否が応でも伝わってしまう。互いの息遣いが重なっていき、視界がみのりで満たされてゆく……。 (ど、どうしよう……) 事後……ではない。 未だに溝口は判断を決めかねていた。そんな時。 「はい! そこまで!」 誰かの一声で雰囲気が木っ端微塵に吹き飛んだ。 その声は後ろ、つまり倉庫の入り口から聞こえた。 「溝口さん……ここまで思い通りだとは思わなかったよ……」 恐る恐る、溝口はロボット運動をしているかのようにカクカクと首を回す。 なぜならその声は聞き覚えのある声だったからだ。 「み、みのりぃ!?」 言うまでもなく、みのりが倉庫の入り口に立っていた。しかも呆れた表情で。 もう、溝口にとっては神経が絶対零度に凍りつくほど、身の毛のよだつ状況だった。 (み、みのりが2人っ) 「あらあらみのり遅かったわねぇ。あと数秒で一線を越えるところだったんだから」 「何ていうか、演技さながらこんなに上手くいくとは……ねぇ」 「だって、男ってわかりやすいんだもん」 一方、溝口はというと、もう状況を理解するのが精一杯で口を開け閉めしているが声が出なかった。言いたいことは数多くあるのに、喉の淵でつっかかって、声帯を震わすことが出来ない。 どうやら、人は本当に驚いた場合、声も出ないらしい。 「溝口さん。これ、ドッキリだよ」 「ドッキリ大成功〜」 「……」 みのりの言葉にさえ、返事できなかった。 「とりあえず、外に出ようか」 ギクシャクとしながら、倉庫を出る。 「な、なんでみのりが2人……」 「あ、溝口さん、やっと口きけるようになった?」 後に来たほうのみのりがこっちの顔を下から覗き込む。2人をみると、先に出会ったみのりのほうが背が高いように見える。 「そろそろ正体ばらしていいみたい」 「そう? このままでも結構面白いのになぁ」 そう言いながらみのりは頭に手を伸ばし、髪の毛がするっと落ちた。どうやらカツラを被っていたらしい。 「み、水穂さん……!」 「ハロー溝口さん。甘い時をどうも〜」 「誤解されるような事言わないでよっ」 もう言うまでもないが、先に会ったみのりは水穂さんだった。 「あのね、罰ゲームなの」 「はい?」 「みのりが私との戦いで負けちゃったから、1つ言うことを聞くことになったの」 「はあ……って、もてあそばれたっ」 深く突っ込むことは避けることにした。 「あははっ、ちなみにあの倉庫には縄が1本張ってあったんだよ」 「で、溝口さんはそれに引っかかったと」 「世知辛い世の中だ……」 秋の空を仰ぎ、空に向かって一息。世界はこんなに平和なのに、世間の風は冷たいとです。 「やっぱり面白い人だねぇ」 「そうかなぁ? いじりがいがある人だとは思うけど」 そうですか。これが孔明の罠ってやつですか。 「で、おもしろかった?」 「モチのロンよっ。今後も仕掛けてみようかなー?」 「……もういいです」 巫女さん2人、弄ばれた社会人1人。ちょっと、自分が情けなかった。 突然、みのりが何かを思い出したように空を仰ぐ。 「あ、溝口さん」 「なんだみのり?」 「あのね……」 笑顔のまま、みのりがこっちに寄ってくる。もしかして、さっきので多少の心境の変化があったのだろうか。 「鉄拳制裁」 「ぐはっ」 腹にむかって拳が入る。とっても痛い。 「はい。これで赦してあげる」 「み、みのり、もしかしなくても、嫉妬してたのか?」 苦し紛れに声を出す。もちろん、痛みは消えてない。 「ば、ばかっ! そんなんじゃないよぅ」 「……みのり」 「なにっ」 「かわいいな」 ボンッ! みのりがまるでゆでだこのように、真っ赤になった。 「な、なに言ってるの溝口さんったらー☆」 片腕で溝口を突く。とても上機嫌になったようだ。頬に手をあてて笑顔で「やだもー」とか言っている。 少なからずとも、良い方向に心境の変化があったようだ。 「で、どうだったの?」 「なにが」 日も暮れて、自宅での話。 「ちょっとは距離、縮まった?」 「う〜ん……」 「あーもうじれったいなぁ。私が奪うよ?」 「え、えぇ!?」 「もちろん冗談よ。みのりのマイダーリンを奪うなんてそんな酷なことしないわ〜」 「ダーリンって言わないでよっ。あれ? まさか、私達をもっと引き寄せるために今日のことを?」 「そうそう。どう思ってたの?」 「いや、単に勢いとノリの気まぐれだとてっきり」 「そんなこと言ってると本当にリトライするわよ?」 「全力で期待しないで待ってます」 「あら、残念。でも考慮しとくわね♪」 長く息を吐き、なんだか散々な一日だったと思い返す。 「まったく、おせっかい焼きなんだから」 ついつい田舎の親友を思い出して、微笑してしまう。 ちなみに、 後日溝口さんとデートに行った、なんてことはないと言っておこう。 おわり |