第4話 part1 悩み事 もう何時間歩いたのだろう。 ホーリーナイトはコンクリートの世界から去り、橘からもらった記憶を頼りにその故郷を目指している。ただし、今歩いているこの道は橘も俺も知らない。……その点では、迷子といっても過言ではない。 道はまっすぐに伸びて平らに舗装され、茶色の木々は左右に広がる。歩くたびに積もった枯れ葉がカサカサと音を立てる。 足は留まる事なく、ほぼ無意識に動く。足を止めたらそのままその場に崩れ落ちてしまいそうだった。 既に街を出てから朝と夜を1回は過ごしたと思う。睡眠さえとっていたが、感情が体を急かすので、食事は一切取らずに足を進めていた。 冷たい水を飲むことはできない。腹を壊すからだ。疲れたら睡眠をとることしかしない。 ホーリーナイトは意識が朦朧としながら足を進めていた。 もっとも、1年前の自分ならこの程度大丈夫だったのだが。 「1年のブランクはでかいな……それにしても」 見上げる。冬の空はとても澄んでいた。 「ここ……どこだよ」 少々、無計画すぎた気がする。 人と出会わない道を選んだ。橘が教えてくれた道だけではあまりにも情報が足りなく、旅の途中でであった動物に人を避ける道を教えてもらう。 大地は足に直接その冷たさを伝えて鞭を打つように痛かった。 街を出て、川を渡り、月を見上げて、太陽に挨拶をした。めまぐるしく変わっていく景色はホーリーナイトから自信とやる気を奪い取り、頭の片隅に諦めさえ浮かばせた。 ふと、いらぬ感情がよぎり、それが徐々に浸透していった。 何で俺はこんなことをしているのだろう…… 一瞬の気の迷いがいらぬ想像を一気に膨張させる。 手紙を届けて俺に何の徳がある? 手紙を届ける定義、行動そのものの理由を言葉で表せられないことにホーリーナイトは疑問を感じていたのだ。 この行動は何のため? 約束を果たす義務感? 橘への恩返し? それとも死んでしまった橘への弔い、罪の意識を感じているから? それともただの好奇心? 旅に出たかっただけ? 溢れ出る答えはどれも正解の粋に辿り着かず、ただ虚空が残った。いくつもの考察が出てきても素直に頷けないものばかりだ。 そして、あえて言うなら分からないという言葉が今の答えだった。 どうせなら勝手に放棄してもいいんじゃないかという考えも浮かぶ。止めても誰にも咎められる心配はないのだから。悲しむかもしれないが橘は許してくれるだろう。 ……正直、限界を期した魂は異常をきたしていた。こんな考えが最低だということはわかっている。でも、それを簡単に拭い去ることはできなかった。 動物の思考回路は優れている。無意識に感情を司り、知識を書き込み、すばやく判断する。 しかし、人間の思考回路は1つ、ずれていた。 例えば、生徒が先生に声をかけられた時、何か悪いことをしたのではないかと、思う。知らない人物に話しかけられた時、何か良からぬ企みがあるのではないかと、考えてしまうほど。。 つまり、人間の脳の大部分が否定的な思考となっているのだ。 ホーリーナイトは黒猫である。なぜ人間でないホーリーナイトが関連して否定的な思考などと記したのか、いろいろな理由が挙げられる。 日常、町の人間に陰湿ないじめを受ける生活がその思考に追い込んだのか、元来そういう思考を持ち合わせていたのか、無理やりそう仕向けられたのか。 いずれにしても人間の影響が大きいのだろう。ホーリーナイトは自然とそういう考え方になっているのだ。 孤独により、ホーリーナイトの精神が異常を嘆く。それは意識しながらも無意識に結びついてたものだった。 日もほとんど落ちてきた夕方の頃。 ぼんやりと考え事をしながら歩くホーリーナイト。歩いているといつの間に町の中心部に入っていた。橘と暮らしていたところほどではないがどことなく活気のある雰囲気の通りに着く。 商店街といえば簡単だろう。1本道が伸びていて、立ち並ぶ店によって縁取られている。 煩い人間。耳がおかしくなるほどの音。 歩く人々はホーリーナイトに見向きをせず歩いている。小さくて視界にほとんど入らないからだろう。ホーリーナイト自身も端っこに隠れるようにしてふらつく足をなんとか抑えながら歩いていた。 人が雪を踏んでいくためほとんど雪は消えて、コンクリートが顔を出していた。 「それっ」 突然、甲高い声が聞こえたかと思うと、次の瞬間ホーリーナイトに鈍い感触が伝わってきた。 当たったところから推測してその方向を見てみると、小さい人間の子供が3人、こちらを見ていた。 「よっしゃ。俺当てたぞ。次お前な」 「軽く100キロ超えてやるよ」 「バーカバーカ。ぜってー無理だって」 「ちぇ、見てろよ〜」 「はいはい」 ホーリーナイトはまたかと思った。どうやら雪の球を黒猫に当てる遊びをしているようだ。無論、不幸を取り除くと言うことも含めてのことだろう。そんなことしても除けるはずもないのに。 ホーリーナイトにとってはあまりにも日常的に起こっていた事でもう慣れてしまったことだった。 2球目が飛んできた。汚い雪の球はホーリーナイトの頭上をかすめてその奥で落ちた。それさえも全く気にせず歩く。もう、意識さえもおぼつかなかった。 「はずしてやんの」 「次おれ〜。軽く当ててやるよ。石も入れてな」 「石入れるのかよ」 まったく、端っこの汚い氷を集めて何をしているのやら。 3球目が飛んでくる。今度は確実に当たりそうだった。石の入った汚れた雪の球がホーリーナイトの頭めがけて一直線に飛んでくる。誰もが当たることに期待して、ホーリーナイトだけがそれを望まなかった。 (……まあいつものことだな) 痛みを覚悟した次の瞬間、ホーリーナイトは地面との隔たりを感じた。 「浮いてる……」 「なに言いようにやられてんだよ、お前」 「……え?」 そう声が聞こえた。聞こえながら地面が上下しながら高速で横に流れていた。もちろん自分の力ではない。 「あー! 逃げるなー!」 遠くからあの甲高い人間の声が聞こえる。彼らが何を言っているかは聞き取れなかった。 おどおどと動揺しているうちに影の差し込む裏路地に移動していた。 動揺しているうちに1つだけ分かったことがある。首輪を掴まれていたということだ。だから俺はここまで運ばれたのだということである。でも下を見ていたので俺を掴んだやつの顔はおろか、姿さえ見えなかった。 人気のないところに到着するとようやく降ろしてもらえた。俺を運んだ者を見る。 「よう、大丈夫か?」 ひときわ大きい猫だった。見た目の印象は茶色のぶちが目立つ汚い白色の、力がありそうな猫で、俺とは対照的な猫だった。太い胴体がのっそりと地面に立っている。 「あ、ああ。怪我もない」 「あっはっは! そりゃあよかったぜ!」 大きな猫は豪快に笑っていた。 「俺、ボスってんだ。」 (ボス? 何がボスなんだ?) 「おい、お前さんの名前はなんだ?」 (……名前か) 心と同じように落ち着いた口調で答える。 「ホーリーナイトだ。東京から来た」 「へぇ〜 東京ってことは向こうの街から来たんだな。え〜と、東京からの奴は初めてだな。それにしても……」 ボスは笑いを堪えている。どうしたんだ、こいつ。 「ヘンな名前だな〜!」 げらげらと笑うボス。 (……いっぺん叩いてやろうかこいつ) ホーリーナイトはムッとした顔でボスを睨みつける。 「あ〜、笑っちまって悪いな。すまんすまん」 ちょっぴり申し訳なさげに謝るボス。 (顔が笑ってるぞ) 「ったく、まあいいよ」 「んで、お前さんここの猫じゃないんだな。飼い主と一緒に来たのか?」 「どうしてそんなことを聞くんだ?」 「だって人間に飼われているんだろ? 首輪が付いているんだし」 ボスはホーリーナイトの赤い首輪を指した。 「飼い主はもういない。俺はここまで歩いてきたんだ」 ボスは首を傾げている。わかりにくい事を言ったか? 「ま、まあ旅する猫って事でいいだろ」 「おう、そうだな。よろしく、ホーリーナイト!」 「よろしくな、ボス」 (……これを友達って言うのかな) ホーリーナイトはまだ、多くない友達というものに慣れず、戸惑っていた。 「それにしても、首輪つけていて汚い猫なのはおかしいと思ったぜ」 (お前が言うな、お前が) 真っ白に程遠い毛並みのボスは常に笑顔だった。 「ここが〜っ、俺らの住処だ〜!」 ボスに自己紹介を済ませた後に案内された場所は、草むらだ。裏通りの高級風なマンションの裏にある。その中にがさごそと入っていくと、1箇所だけぽっかりと土が顔を出している大きな空間があった。なるほど動物から隠れるのに適しているし、風除けにもなるのかなと思った。 「あっ」 「お帰りですボス」 「おかえり〜」 3匹の猫がいた。大きさは俺と同じくらいだ。 「諸君、紹介しよう。われらの新しいシモベのホーリーナイト君だ!」 『イェ〜イ!』 「え!? え!?」 突然のことにホーリーナイトは驚いた。他の4匹は異常なほど盛り上がっている。 「まあそんなのは大げさな話で友達になろうってことだけどな」 困っているホーリーナイトにボスは状況説明をしてくれた。 「え? あ、ああ、そうなのか」 あたりは暗くなり、冷たい風も吹き始めていた。 「おっしゃぁ! パーティーだぜ野郎ども!」 『イェ〜イ!』 「……いえ〜い」 ボスたち含め4匹は仲間を迎えるパーティーと称して晩餐会のようなものをすることとなった。 パーティーといってもかなりお粗末なもので、人間のゴミ箱から集めたような生ごみを食って食って食いまくるだけである。 ばくばく。むしゃ。ごくん。 その途中でボスは罵声を響かせた。 「お前ら食べるのやめっ!」 ボスが一声かけたら一瞬で食事を止めた。1匹、無理やり詰め込んでむせ返っている。 (どんな統率力だこいつら……) ホーリーナイトは感心するというより、呆れ返った。 「我らの新しい仲間に自己紹介をしてもらうっ!」 『イェ〜イ!』 ホーリーナイトは会話にあまり慣れていない。どうすれば仲良くなれるかがいまいち理解できていなかった。とりあえずこの場は空気を読むこととした。 「マジかよ」 「マジもマジ、おおマジだぜ」 (……仕方ない、な) 「名前はホーリーナイトで向こう側の街から歩いてきた。表の商店街でボスに助けてもらったんだ。よろしく」 「……ということだ! 楽しんでくれクールボーイ。そして皆仲良くしてやってくれ! それじゃ、食ってよし」 そういうと3匹は切り替わったようにものすごい勢いで食べ始めた。 「……こんなんでよかったのか?」 「ああ、十分だぜ。あの3匹はたま、ゆら、てんっていうんだよろしくしてやってくれ。お前は長居しないと思うがな」 「確かにここにずっといる訳にはいかないな。……ところでお前らどうやってこの食料を調達してきたんだ?今はじっとしてなきゃまずいだろ、冬だし。」 「ん?いや、なんか普通に人間に話しかければなんか食べ物貰えるんだけど」 (えぇ……。俺だったら痛めつけられて、無視されて終わりだぞ……) ホーリーナイトにとってその違いは死活問題に関わることなのだ。 「そうなのか、そりゃ人間もご苦労なことだな」 「あっはっはっ! んで、ホーリーナイトはさ、その旅をする理由って何だ? 」 「ああ、それはだな――」 話そうと口を開くがホーリーナイトは1度この口を閉じた。 「後でまた話すよ。とりあえず今は飯食おう。腹、減ったんだ」 (そういえば2日も飲まず食わずだったっけ) 「おう。たらふく食いな!」 街灯の明かりが灯り始めていた。 「……もう暗くなったな。」 日は完全に落ちて、あたりを照らすのは月と街灯だけとなった。 他のたま、ゆら、てんは食うだけ食ってさっさと身を寄せ合うように眠りについてしまい、起きているのはホーリーナイトとボスだけとなった。 2匹は丸い月を見上げながら互いに顔を見ずに話し始めた。 「こいつらは寝ちまったか。まあ頑張って今日の食事を取ってきてくれたんだしな」 「……へぇ。それじゃあとでお礼を言っておかないとな。」 凍える風、体毛をすり抜けてこの寒さが伝わってくる12月。この静けさはかき消されることはなかった。 「そろそろ聞かせてくれないか?」 「……ああ、わかったよ」 多分、もうそろそろ聞かれる頃だなと思っていた。重い口を開く。 そうして、ホーリーナイトはいままでの話を始める。話している途中で辛くなってなきそうになったけど、堪えた。 今まで天涯孤独だったこと。両親の記憶は無いこと。橘と会ったこと変わったこと。橘はもうこの世にはいないということ。託されたもの。 「…………と、これが旅を理由だな。」 嘘偽りない真実を話し終えると、ずっと上げていた首を下げて土を見た。 「た、大変な人生を送ってきたんだな……」 元気のないボス。おかしいと思って顔を上げると、涙を落としていた。というか信じるのか。結構ファンタジーなこと言ってたぞ、俺。 「な、何だよ泣くなよ……」 大粒の涙が身を伝って落ちる。ホーリーナイトはかなり驚いた。同情くらいならありえると思ったが、まさか泣くとは。 「おいおい、大丈夫か?」 その後はなだめることができなくて、その方法も分からなくてただただ戸惑うだけだった。 夜が、広がる―― やっと泣き止んだボス。いやぁ、泣いたらスッキリしたぜ!、とか言っていた。 「んで、いつ出発するんだ?」 「明日にも出たいんだ。手紙は早く届けなきゃならないからな」 「そうか。また会えるといいな」 「それにしても人間にもいろいろいるもんだな。」 「え? ああそうだな。橘みたいな優しいやつもいれば、俺のことを毛嫌いしているやつもいる。はたまた無視するやつもいるし、俺のことを厚かましく哀れむやつもいるからな」 「まぁ俺にしちゃあ食べ物くれるやつらは皆同じだけどな!」 そう言うと大笑いするボス。まったく、ムードが台無しだ。 「じゃあさ、ホーリーナイトは手紙を届けたらその後どうするんだ?また旅に出るのか?」 「ん〜…… まだ決めてないな。お前の言う通りまた旅に出るかもしれないし、もしかしたらその彼氏の飼い猫として一生を過ごすかもしれないな」 「飼い猫は行動が限られてくるからつまんないぜ〜。ま、いいけどよ。お前の生きる道だしな。暇になったら俺のところにいつでも来いよ!」 「ああ。でも、多分もうお前と……」 ここで言葉に詰まった。こんなことは言いたくない。どんなんであっても俺を助けてくれた友人なのだし。 「出会うことはもうないだろうってか?」 「……」 「まあ、シュンと落ちこむなって。出会いと別れはいつも背中あわせなんだぞ?」 「……まあそうなんだがな。でもそんなこと面向かって軽くは言えないじゃんか。そんな悲しいこと」 「そんなことないと思うぜ」 ……ボスと話していて1つ気づいたことがある。ボスはは普段は豪快で思い切りのいい性格だ。でも、こういう感情についての会話になった時、ボスはかなり芯の強い意見を言ってくる。感性が鋭いのか天然なのか末恐ろしい奴だ。 ボスの精神が強いことに尊敬の念を感じた。ホーリーナイトはたった1日でこの手紙を届ける行為に諦めを感じてしまったから。 「別れるということは直接出会うことはもうないということだ。確かにそれは悲しい。でも、思い出すことはできる。別れても思い出すことで間接的でも、もう一度出会えるんだ。俺はこれを素晴らしいと思う。一番悲しくて恐ろしいのはその記憶を忘れてしまうことだと思う。たとえもう1度出会ったとしても忘れていたら、その過去の相手の姿は死んでしまった、なんてことになるからな。だから悲しいだけじゃないと思うな俺は。一言で言うならば、……悲しんでいるだけでは前にも後ろにも行けないんだ」 「……そこまで前向きな意見をいえるなんてすごいな」 「あははっ! そうか! そうなのか!?」 (照れるな照れるな。) そんな真面目な話をした後、無駄話を長々と続けていた2匹は、あたりが完全に静まり返ったことに気づくと、5匹で身を寄せ合うように眠りについた。みんなの温もりは暖かくて、冬の寒さを大分和らげてくれた。 そして、夢を見ていた。 夢を、見ていた―――― 第4話 part1 END |