第4話 part2 悩み事 太陽の光が1つの隙間からしか差し込まない石のブロックに囲まれた世界。 石は俺に直接この冷たさを訴えてくる。 この狭い世界からは必要最低限の物しかなくて、寝床とトイレくらいしかない石で囲まれた部屋だった。 多分、俺はこの腐った世界で死んでしまう哀れな人間だろう。 魔女と呼ばれた人間を狩る。その存在に権利の2文字はない。 ヨーロッパはそんな腐った世界だった。 生まれてからずっと1人だった。幼い頃は親はいたが、全くと言っていいほど友達はおらず、農民として貧しい生活を送っていた。 大人になるともうすでに親は他界していた。慰めてくれる人なんて誰もいなかった。村で災いが起きると必ず村人に俺たちのせいとされた。全く繋がりはないのに。他人とのつながりが乏しくて、どこで何をしているかわからないから疑われたのだろう。戦争や災害が襲ってくるといつも俺たちの差し金となる。罵声、暴力、迫害。いつものことだった。 もう、何度も死のうと思った。 『男性の魔女』と呼ばれた俺も世間では魔女というらしい。 ある年、大きな災いが起き、多くの者が死に絶えた。残された者達はすぺての責任を魔女に押し付けて、政府に告発した。 村の魔女は1人残らず牢獄に入れられ、魔女であることを認めるまで酷い拷問にあった。彼らは俺達を魔女と確かめるのではなく、半ば強制で認めさせるようだった。 脅し、暴力、食事は地に落ち、紐で指を吊られた。水を何百リットルと飲まされ、親指つぶしという拷器で指を潰された。まさに生き地獄だった。出所しようがここで死のうがどちらも結果は同じ。ならばいっそ死んでしまえと思った。 だから、自分が魔女であることを認めたのだ。たとえそれが真実でなくとも。 この牢に入れられた人たちで本当に魔女だという人はほとんどを占めているだろう。でも少なくとも俺は魔女ではない。ただ、普通の人間なのにほとんど人と接することなく人生を過ごしてきただけだ。 明日はに縛られて、民衆の前で焼き殺される。 魔女に仕立てられた俺は火刑によって、死ぬ。 「なんて、なんて腐った世界なのだろう。感染症で生まれた悲しみをすべて弱い人間に押し付けて、殺す。はは、拷問のせいで体が全く動かないや……もう爪は全部剥がされて……声が出るだけ救いなのかも……な」 まるで声が出せることを確かめるように呟いていると、足音が近づいてきた。どうやら見張りの交代の時間が近づいてきているらしい。 「交代の時間だ」 「OK。それより知ってるか? 今回の騒動はただの見せしめだって」 「あぁ、知ってる知ってる。あれだろ? 国のお偉いさんたちが民衆を操作するためにやったんだろ」 見せしめ? 操作? 流れてくる見張りの会話に注意深く耳を傾けた。 「それにしてもひっでえよな。だってほとんどは本物の魔女じゃないんだろ。まあ運が悪かったんだな」 「そうだよな。まぁ、化けて出ないよう祈るだけだけどな」 そう言って、馬鹿笑いが聞こえた。2人の笑いが牢獄の中、響き渡っていた。そして1人交代して、1人去っていった。 俺は2人の話の内容を冷静に推理して、はらわたが煮えくり返るような思いになった。 今の話を整理すると、この街で行われた魔女狩りは、政府の差し金だということとなる。 この時代に感染症が大流行して、多くのものが死んでしまった。多分、その事態の収拾として、すべてを魔女のせいにしているという事なのだろう。そうでもしなければ自国の人間が外の国に行ったときに持ち込んだと思い込み、国内で内乱が起こるから。そこまでは理解できていた。 しかし、魔女ではない者が大半を占めているだと! 俺は心底絶望し、怒りに打ち震えた。 せいぜい俺の様な者は10人に1人、いや、それよりもっと少ないと思っていた。それがどうだ。泥沼の悲しみを土の中に隠すために関係のない命を幾つも幾つも積み重ねて…… 俺はこの国を愛していた。尊い王に心より忠誠を誓っていた。自国は圧倒的に強かったから。その誇りを持っていれたんだ。 だから戦争で死んだり、病で倒れたとしても本望だった。それが逃れようのない自然な結末だったのなら。 でもそれが故意に起きた災いだったとしたら。 ……許さない。この国を、この国の王を、この時代の世界の生まれいでし全ての貴族を。一生許しはしない。たとえ彼らが死者に許しをこいても未来永劫許しはしない! そう心の底から誓い、歯ぐきが千切れそうなほど強く、歯をかみ締めた。 朝焼けが空を覆うころ、俺は手首を後ろに回して、縄で縛られた。他の者も全員同じようにある程度抵抗できないようにされ、奴隷のように歩かされた。 ある何百何千もの魔女と呼ばれる者たち。果たして何人がこの醜い世界の犠牲者なのだろうか。そして何人がこの血で癒されるのだろうか。血で血を洗うようなこの狂った世界。 その魔女を取り囲むように武装した兵が歩き、逃げようとする者を容赦なく殺せるようにしている。もう逃れることは出来ない。 俺は怒りのほどは収まりかけていたが、昨夜の想いが変わらないほどの集中力が脳内を支配している。 目的地に着いたかと思うと一箇所に固められ、足を無理やり縛られた。 そして薪を積み、火刑の準備を始めた。本当は各個人を十字架に縛り付けて焼き殺すのだが、あまりに人数が多いので1つにまとめて焼き殺すことにしたようだ。 見慣れない中途半端な田舎の風景。取り囲むように集まり始めた愚者。火刑は、民にとって余暇の1つだ。 並ぶレンガ造りの家。突出したように見える教会。 壮大な噴水。鳴り響く小鳥のさえずり。少なからず世界は平和に見える。 でも、上空にたたずむ時計台の鐘が鳴ったらぬるい炎に巻き込まれて死ぬ。 ここで、俺は神に祈ることにした―― この世に生けとし生けるものを統べる全能たる神よ。俺の願いを聞いてほしい。 こんな腐った世界はもうこりごりだ。もし、次に生まれ変わったときは幸せな世界に変わっていてほしい。 たとえ炎に踊らされようとも罵声や暴力に押しつぶされそうになろうとも、最後は『ああ、よかったね』と笑顔で言えるような結末を迎えたいんだ。どんなに傷ついてもかまわないから。 俺は、その結末を強く硬く望む。なにという数え切れない星を数えながら俺は、ここにこの想いを強く残そう。 (そういえば今まで誰にも優しくしてもらったことがなかったのかなぁ、俺) もう死ぬことも怖くない。それでもう落ち着いてしまった俺はそんなことを走馬灯のように浮かべていた。 口には縄が何重にも掛かり、もうしゃべれなかった。火を大きくするための木を積み重ねて、野次馬が集まってきた。 (あぁ、そういえば母には優しくしてもらったなぁ) たった一人の母。いつも笑顔を絶やさずに、他人に何をされてもいつも笑顔でいてくれた母。そんな母が誇らしくて ……こんな情けない自分が申し訳なかった。そんな気がする。 もうそろそろ、昼時だった。 太陽が真上に上ったとき、終末を告げる鐘が街に鳴り響いた。 この処刑を楽しむ愚者が無造作にぞろぞろと、ざわざわと集まり、もう一言も発することが出来ない俺たちを見ながらあざけり、けらけらと笑っていた。 わら、火の元に火が灯る。焼ける人間に悲鳴の協奏曲。いや、綺麗事でごまかすのはやめよう。 響く悲鳴。轟く歓声。踊る炎。焦げた肉の臭い。 世界はどこまでも腐っていた。この結末は不条理だ。だから、このステージからひとまず手を引くことにした。 さらばまた逢おうこの腐った世界…… 「グ……ぁあぁあぁあぁあ!」 さあ、次の世界に連れてってくれよ。神様。 燃え盛り続ける炎の中。もう走馬灯も浮かべることもなく、肉は焦げて俺は無残な犠牲者となった。 未練はないが、思いは強くこの大地に深く刻まれた。 その日は平和だったはずだったのに、世界は何も知らずに逝く者の命を失っていった。 そして、世界はまた回った。時も、廻った。 「う〜ん……」 「悪い夢でも見てるのか? 起きろ〜朝だぞ〜」 ぱちくり。体を思い切り乱暴に揺すられて夢から覚めた。妙にグロテスクで生々しい夢だな、と数秒後には忘れてしまうような夢に言葉を当てはめる。 目を開けるともうすでにボスと他3匹は起きていた。 「わりぃな。もう事情は話しちまった」 ボスが唐突に口を開いた。 「は、なんのこと?」 「お前がこの町に来た理由を俺がこいつらに話したんだよ。」 「え……なんで?」 「ん? なんか俺の子分がお前に嫉妬してたらしくてな」 「ちょ、それは言わない約束でしょうが」 てんは恥ずかしいのか頬を染めてうつむいていた。もしかしたら俺が怒っているように見えたのかもしれない。 「大丈夫だよ。別に気に障ってないから」 少しほころんだ顔で優しく話す。以前の俺には到底出来なかったことだろう。 「お前も意外に優しい顔するんだな」 「余計なお世話だ」 そんな漫才で始まる朝。でも別れの朝でもあった。 「さて、門出のための食料集めといたぜ」 コンクリートの上に集められた食料は黒猫より大きいほどの量だった。 「……持って行けねえよ」 予想していなかった返答を聞いたボス。少しうつむいて考えこんだ。 「あ、そうか。まあいいや。じゃあ持って行かなくていいぜ」 「え〜、俺ら頑張ったんだぜ〜……」 そう言い張るのは、子分たちだ。さらにたまは言葉を続けた。 「朝早く起こされて、ホーリーナイトさんの事情を説明されて、頑張って食料になりそうな物をそこらじゅうからかき集めてきたのに……」 「「うんうん」」 同じようにゆらとてんも首を縦に振り、相槌を打つ。 (う〜ん、せっかく採ってきてくれたんだしなぁ) ホーリーナイトは悩んでいた。ボスは言葉を鵜呑みにしていて何も言おうとはしていなかった様に見えた。 「それなら今みんなで食べればいいじゃないか」 ホーリーナイトの言葉に自然に促されて4匹はきょとんとして 『あ、そうか』 と、口をそろえて納得した。 ホーリーナイトはその光景がどこまでも温かくて、友達と言うより家族のような阿吽の呼吸だと思い、自然と微笑ましくなった。 「さて、食うか!」 さえずりは小鳥が冬眠しているせいで聞こえなかった。みんなの笑い声がどこまでも眩しくて朝の光を連想させてくれた。 食事も終わり、腹も膨れた。準備は万端。 ボスが助けてくれて、たまとゆらとてんが食事を持ってきてくれた。人間の食べたあとのような汚いものだったが、それでも裏路地暮らしだった俺に慣れっこだったし、何よりこんな俺のために持ってきてくれたということが嬉しかった。 太陽も少しずつ昇っていき、雪が少しずつ解け始める。コンクリートはそれらに照らされて生きた色となり、世界は活性化し始める。 朝、すべてが明ける朝。どんな夜でも諦めなければ日はまた昇り、闇夜を照らす陽が地平線から顔を覗かせる。 ……でも、俺の朝はまだ訪れてくれない。 そんなことを考えて歩いていた。 どうやら、山を登る先に村があるといったら1箇所しかなく、4匹は迷うことなくその山のふもとに案内してくれた。 そんなみんなの優しさをよそに、未だにあることを考えていた。 この町に入る前に疑問に思った俺の旅する強い理由だ。もうすぐ旅が始まるのかと思うとそのことばかり考えてしまっていた。 そうしている間に山のふもとが見えるくらいの場所に着いてしまった。 「お前ら、先に帰っていてくれないか」 突然、ボスは子分にそう言うと、3匹は何も言わずに去っていった。 車が地面を揺らしていた。 「なあ、なんか悩み事でもあるのか?」 相変わらず鋭い感性を持ったボスは、あたかも当然のように俺が悩んでいることを見抜いていた。俺をまっすぐ見て、話していた。 「……実はこの町に来る前からずっとな」 ホーリーナイトはふと、ボスに溜め込んでいた思いを吐き出す。 「聞いてくれるだけでもいいから聞いてくれないか?」 「話は長い?」 「ああ」 「ん〜……まあいいや、聞いてあげよう」 納得したボスを見ると、ホーリーナイトは片言片言だが語りだした。 「俺は昔から天涯孤独の身で、それでもいいと思っていた。誰かを思いやるなんて煩わしかった。信じられる奴なんていないと思い込んでいた。でも、信用できる奴に会い、初めての友達になった。こんな俺でも、だ。そうして今の俺の立場は存在するんだ。でもそれを証明する確かな理由が見つからない。いろいろな答えが出てきたがどうしても言葉のピースには当てはまらないんだ。情けないよな。だから――」 「ストップっ!」 ボスの一言でホーリーナイトの語りは止まった。ボスはホーリーナイトが自らをあまりにも卑下していたから、これ以上聞いていられなくなった。 「生きがいってあるか?」 突然話を切り替えしたボス。とりあえず話題にあわせた答えを返した。 「思いつかないな」 「……そうか」 「じゃあさ、お前は今、何のために生きているんだ?」 質問の意図が分からない。何だこの会話は。 「橘の恋人への手紙を届けるため」 「……」 ボスは口を開かない。何かを察してくれということか? おれの生きる意味。今の目的。難しく考えないで楽に。単純に。簡潔に…… 「……」 「……」 「……っ!」 何でこんな簡単なことにきづけなかったのだろうとホーリーナイトは口をつぐんだ。 「お前の生きる理由は手紙を届けること。それ以外の何物でもない。あえて言うならばお前はそのために生まれてきたんじゃないか? お前の話を昨日聞いているだけの俺が言える答えなのかは自分でもわからないがな。少なくとも今お前がここで生きる理由はそれだろう」 「……そうか、そうだよな。ありがとな。まさかこんなに簡単に見つけられるとは思わなかったんだが」 「ハハッ! まあ簡単な部分だったから見落としていただけだろうさ。よかったな、最後に分かって。」 「何でわかったんだ?」 「俺にも似たようなことがあったんだ」 「そうか…… お互い生きるのは大変だな……」 そういうとボスは笑顔でどんまいと言った。 (まったく、ポジティブなやつだ……) 「じゃあ、俺、そろそろいくわ。この山道をまっすぐ進めばいいんだよな」 「一応固い道に沿って歩けよ。自ずとその村に着くはずだから」 「そうしとくよ。でも……やっぱりお前は来ないのか?」 「ああ。俺は俺の道を行くってね。それに、また会えるだろ?」 「……そうだな。なあ、俺たち友達だよな」 突然、変わったことを聞かれて一瞬と惑うボス。でも、これは質問じゃなくて確認だと理解すると即座に答えた。 「当たり前じゃないか!」 「そうだよな。……最後は、笑顔で」 「ああ。最後は笑顔で」 お互い、180度回転すると最後の会話を交わす。 ――なあ、今、泣いているか? ――泣いてない。むしろ笑ってるよ。ホーリーナイトは? ――笑ってるさ。 ――そうか…… じゃあな、また、会えたらいいな。 ――……ああ。さようなら。 お互い、振り返らずにそれぞれの道を歩き出す。1匹は屈強な山道を、もう1匹はいつもと変わらぬ日常を。今だけその通った道はいずれ乾くだろう。でもそこに染み付いた悲しみは永遠に消えない。 ホーリーナイトは山をふもとから見上げる。首が痛い。冷たい大地を踏むときの刺すような痛みを抑えながらただ生きる目的を果たすためにひたすらに山を登り続ける。太陽がほころびを見せたような優しい日差しの下で黒猫はただただ道を登る。 名前も知らない山はホーリーナイトを受け入れるのか拒むのか、太陽は低く昇り始める。そんな冬の日のことであった。 第4話 END |