原点 いつかどこかのあの時に 〜約束の地〜 「やれやれ、ここに来るのも3回目かな」 少し時間をさかのぼったあの寒空の下、ホーリーナイトは力走し続けた。 肉をさらけ出したことや、血でホーリーナイト自身の道標を創り出したこともあった。そのころは辛かった。目の前の目標のために、ひたすらに突き進むしかなかった。 しかし、後で思い出したら、笑顔を翻すようになるだろう。自分にそう言い聞かせる。嫌な思い出があったら、無理やりにでも良き記憶にする。そのためには嬉しい結果を思い浮かべればよい。 否定的な人生では悲しみしか生みださないから。 今、ホーリーナイトがいる場所は、以前、自称猫愛好者を名乗る謎のじいさんに会い、あの手紙を保有する能力をもらったところである。 紙、そう、まるで新品のスケッチブックを開いて真っ先に目に飛び込むまっさらな紙のような純白の空間。そして死んだはずの橘に出会った場所でもある。今考えればこんな空間がこの世に存在するのかも不安定な所だ。 ホーリーナイトはふと死ぬ間際に見たあの優しそうな男性を思い返す。 (そういえば最後にあった感触は、あれは橘の彼氏なのか?) 橘の記憶を利用してその人物と照合する。未だ橘の記憶は残っているようだった。 確かに合っている。どうやら橘の彼氏で間違いないようだった。それを確かめ、ホーリーナイトは心から安堵に胸をなでおろした。 後ろからとやたら軽快でテンポの速い足音が聞こえてくる。故意に音を立てなければ何の反応もしない真っ白な空間なので、いち早くホーリーナイトはそれに気付き、後ろを見た。この場にこれる者など限られているので大体の想像はついているのだけれど。 背後から駆け寄ってきたのは、やはり馴染んだ顔立ちの女性だった。 「ほーりぃーないとぉ〜〜!」 その女の人は涙目の猛スピードでこっちに駆け寄ってくる。少しの時間じっと見ていると、ホーリーナイトとの距離があと数メートルになっていた。しかし、彼女はスピードを緩めることなく走っている。このまま通り過ぎてしまいそうな錯覚が脳内に浮かぶ。 それも束の間で、彼女は元気に両の腕を大きく横に広げながら地面を蹴ると、ホーリーナイトに向かって頭から地面に滑り込む。 彼女の腕がホーリーナイトの周りを囲い、抱きついてきた。 「辛かったねっ。頑張ったねっ。頑張ったよ〜ホーリーナイト〜!」 心が飽和するほどの感情がひしひしと伝わってくるのはいいのだが…… 「痛い、痛いって橘! 絞まってるから! チョーク、チョーック!」 背中から絡みついた腕。その感情のあまり力んだ腕が、橘の変わった不器用さなのかもしれない。 「けほっ、けほっ」 橘がようやっと自分がしていることに気づくと、慌てて手を離し、ホーリーナイトを解放した。 「だいじょうぶ?」 「そう思うならもっと早く何とかしてくれ」 「えっへん」 腰に手をあてて、胸を張っていた。 「えばんな!」 (別にいいんだけど) 辛くても、あたたかい心とさえ居れたらあとはどうでもいい。約束を終わらせてやっと俺がいるべき場所に戻れた気がした。 「んで、今度は何なんだ?」 「それをお聞きするために〜っ。人生の先輩さんを呼んでおりますっ」 「……どうせあの爺さんだろう?」 橘は目をきょとんとさせる。 「な、なぜそれを」 「それくらいは大体想像がつくって。」 「まさか……超能力!?」 「はいはい。ピーターパンシンドロームはほどほどにな」 「ピーターパンシンドロームって何すか?」 「言動が子供っぽかったり、いつまでも子供のようなふるまいをしている大人のこと。ちなみに男性限定」 「私、そんなんじゃないよ〜。というか私、女だよ」 橘は両手をばたつかせている。 「ジョークだよジョーク。気にしない気にしない」 「ホーリーナイトが気にしなくても私はとっても気にするよッ」 乾いた空気に2人の会話はよく響いた。少しの間が空いて、言い忘れていた言葉を橘が先に口にした。 「おかえり、ホーリーナイト」 「……ただいま」 少し、照れくさくなった。 「さて、お話はこれくらいにして本題に入ろうか」 雑談をしていると、不意に現れたあの老人が場を沈めた。 「お、エスペル。遅かったねぇ」 「なんだじじぃ、名前あったのかよ。前、会ったときにちゃんと名乗っとけよ」 「名前が与えられたのはお前さんが去ってからじゃったからな。言うタイミングがなかったわい」 「あ、そうなのか」 (それにしても変な名前……) 「今、とても失礼なことを考えなかったかの」 声に凄みがあった。 「あ、ばれた?」 「これ、橘が命名したんじゃぞ」 「おぉ、すごく納得」 「ひ、ひどい……」 となりがしょんぼりとしていた。 (あっちが片付いたらこっちで。どっちが飼い主なのやら) 「ひにゃうっ!」 橘がホーリーナイトの尻尾をがしっと掴んでいた。 「ホーリーナイトの弱点は知ってるんだぞぉー!」 「う……るせ……ぇ……にぁっ!」 エスペルは微笑ましくこれを眺めていた。 久しぶりに会ったのだ。じゃれあいたいのだろう。 他人同士がこれをしていたら、一触即発な雰囲気だが、そこに広がる空気はあたたかかった。会話も、気持ちも、思い出も。そこにある全てが微笑ましく、約束を達成した安心感で満ち溢れていた。 多分、命を天秤に賭けてやり遂げた者が得る独特の感情なのだろう。その言葉の定義が間違っているかもしれないが、ホーリーナイトはそれを喜ばしく感じた。 「さて、話を整理しよう」 「「はーい」」 ここでもやはりエスペルが場を締めて、他の二名は地面の横たわり、それぞれリラックスして挙手していた。 「ホーリーナイトは目的を果たしたあと死んでここに。橘はそのホーリーナイトを心配してここに。わしは1名に事情を説明するためにここにいるということでよいな?」 「エスペルのところが違いまーす。約1名忘れてまーす」 「ふむ。そのアンポンタンはどこにおられるのかな?」 「私はアンポンタンじゃありませーん。むしろいちいち寒いギャグを飛ばしてくるエスペルの方が問題があると」 「やかましぃ」 ハリセンでツッコミが入っていた。 「年なんだから無理すんなよ」 「……ッホン。そろそろ話すぞ」 エスペルはわざとらしく咳払いをして、話し始めた。 「まず、主らはすでに既に死んでおる」 その一言の後、数刻の間が空く。どうやらエスペルが反応を待っているようだった。 「うん。そりゃあね」 「まあそうだな」 橘とホーリーナイトとが平然に相槌を打つのを見て、エスペルは目を丸くしていた。目は見えないが。どうやらもう少し驚くと思ったらしい。エスペルは思い直して、自分の誤りに気付く。 「……すまん。言い方が悪かった。お主らは生前に既に死んでおる。何回も、何十回も」 「えー。ごめん、よく分からないや」 当然のように分からない約2名。 「だから今から説明するんじゃよ」 地べたにくつろいでいる2名を見て、立っているのに疲れたのかエスペルも地面に腰を下ろした。 「ほれ、粗茶じゃ」 エスペルはどこからか3つの粗茶と座布団を出し、話し始めた。とても妙な違和感が生じるが、橘は固い地面に座り続けるのも嫌なので座布団の上で寝転んでいるので、ホーリーナイトもそうした。 「大まかに言うと人間を含め生物は、魂と肉体とで構成されていると言っていい。記憶、感情その他もろもろを詰め込んだ魂と、それを包み込むための入れ物である肉体じゃ。肉体が死ぬと、魂はそこから離れ、そのまま天に召される。 それを魂の開放と言ったり、成仏と言う者もいるらしいがの。……言い方が悪いのじゃが。 その後ある程度の時を経て、天から現世の肉体の中に入るのじゃ。 もちろんその際、記憶や知識、感情などはリセットされる。これが本来の循環であり、摂理じゃ。しかし主ら1人と1匹にはイレギュラーが起きてしまった。……いや失礼、昔の主らじゃな。だから2人じゃ」 ホーリーナイトたちはまるで人事のように話を聞いていたが、やがて無言で必死にしがみつくようにエスペロの話を聞き始めていた。 初めて聞いた事だらけで、必死に頭で理解するので精一杯だからなのかもしれない。 「死んで天に召される間に、地面に繋ぎとめられてしまったのじゃ。他人からの強い恨みか、当人の強い思いか、はたまた両方かは判断し難いのじゃが。とりあえず、魂の開放ができなくなってしまった」 「魂の開放って私たちのどっちか?」 「いや、両方じゃ」 話を理解していくうちに、ホーリーナイトには当てはまる節があった。あの石畳のような冷たい世界。暗くて、苦しい。そう、ボスたちと一緒に寝かせてもらったあの夜のことだ。あの夜、ホーリーナイトは夢を見た。夢で見たあの男、もしかしたら前世の自分だったのかもしれない。それならこの世に繋ぎとめられた理由は自他両方だろう。あれは彼、もとい自分も怒っていたし、他人からも憎まれていた。 エスペルはそのまま言葉を続けた。 「主らには強い怨念めいたものが残っていたのじゃろうな。その怨念自体は、主らが死んだときに消えてしまったのじゃが。 確かに何度も転生はできたのじゃがそのつど、必ずと言っていい。不運が重なって、死んでしまうのじゃ。魂の開放のためにはやはり未練を断つことが絶対条件ということで、自然に様々な事が彼らに降りかかるのじゃが、その前に身体が死んでしまったり、その途中で息絶えてしまったり、……最悪の場合は主らが揃わないという事態もあった。 ふぅ。1度話を止めようかの。老体に演説は堪える……」 そう言って、エスペルは大きくため息をついた。 (つまり人は転生する。俺の場合は特殊で、転生しても何らかの妨げによって死んでしまう。それを長い年月をかけて、幾つも積み重ねていっていたということかな) 話を整頓するうちに、矛盾が浮かんできた。 「なあエスペル。俺の元は人間なのに、なんで今、黒猫なんだ?」 「別に肉体の方はただの器でしかないから、ある程度優れた同類であれば良いみたいじゃよ。人間のときもあったし、カラスのときもあった。橘は人間のままじゃ。まぁ、最低条件は橘に良い意味で関われる動物ということじゃな。詳しい定義は知らんがの。」 「へぇ。じゃあその……未練ってのを晴らすのは必ず俺か」 「そうじゃ。主らの前世で死んだ順番はホーリーナイトの方があとじゃったからの。だから先に命を落とすのも橘じゃ」 「ちなみに私たちは何年の間、転生し続けているの?」 「軽く100年は超えて、大体300年強かの」 「うぁ、壮大だな。というかエスペロ、あんた何歳だよ」 「秘密じゃ。大体、自分が人間だなんて一言も言ってはおらんぞ」 一瞬にして空気が固まった。目が見開き、エスペロに余計注目が集まる。 「え……それって本気で?」 「じょ、冗談だよな……」 エスペロは何食わぬ顔で、動揺する素振りも見せなかった。 「たぶん嘘じゃよ。もっとも、わしはこの300年を見てきて、主らはこの300年をほとんど覚えてないのじゃがな」 「「…………」」 それ以上それに関した言葉は出てこなかった。むしろ出せなかった。 「今までの説明を理解した上で、ホーリーナイトのことについての話をしようかの」 黙りこくった橘達を見て、話題を戻した。 「ホーリーナイトはあの世界では石を投げられたり、暴力で痛めつけられたりされていた。その意図について考えたことあるかの?」 「んー……さぁ?人間に嫌われているからじゃないのか?」 ホーリーナイトはその理由について考えないようにしていた。いくら悩んでも、わかるような事ではないだろうし、たとえ知ったとしても人間に力には抗えないことは、重々理解していたから。 ……多分、頭に無理やりそうやって言いきかせたのだろう。考えて答えを知るのが怖くて、でもわかるような相手はいなくて、その狭間で留まったいただけなのだろう。 「私、知ってるよ。あの東京では開運を目的とした占いが慣習になってる。その中でも黒猫は鬼門のような存在とされているの。結果、人間はどういう行動に出たかというと……」 「……その解決策を導きだす。それが俺に石を投げつけることか」 「そうなの。……その通りなのよ。」 いつもちゃらんぽらんに見える橘が真剣な顔つきになっている。 「町で黒猫を見つけたら石を投げる。そんな根も葉もないガセネタが流れちゃってね。しかも人々はそれを信じてしまったの。面白半分の人もいたし、真剣に信じる人もいたわ。その慣習は子に伝わって、その慣習はこの都内に広がってしまった。そして風習となったの。まあ、地域によって多少の違いはあるけどね。」 「それも1つの答えじゃな」 「え、別にあるの」 「お主が述べたことはそこで生きている人間からの見解じゃ。わしはもう1つの答えを知っておる」 エスペロは長く息を吹いた。 「お主らは現世に留められてしまった。その訳として1つ、他人からの弊害が考えられるのじゃ。前世での話じゃあ中世ヨーロッパ、魔女狩りが大流行する時期じゃな。主らは普通の人間じゃ。普通の村で田を耕す平素の人間じゃ。しかし、村人の手によって、主らはその魔女と呼ばれる者達と同じ存在に仕立て上げられてしまった。魔女は世間から非難を受ける存在。主らは人間からの恨みを全身に背負った状況で死んでしまったのじゃ。そして、その人々からの恨みは呪いに変わってしまった。……その呪いとは被害者を死に至らすものじゃ。世界は悲しいものじゃな。自殺、他殺、溺死、死に方は主らが転生した世界によって千差万別なのじゃが、最終的には死ぬように呪いがかかっていたのじゃ。主らの魂を開放させないために。」 ホーリーナイトと橘は真実を知っていくのがとても恐ろしいことだと今更ながら知った。恐ろしい単語を聞く度に軽く身震いしていた。それでも好奇心からなのか、食い入るように話を聞いている。 「蛇足じゃが、ホーリーナイトの知識は猫が持てる容量を大きくオーバーしている。多分、奇跡的に先人たちの知識が魂に残されたままだったのじゃろう。ホーリーナイトの物わかりがいいのもそれが理由じゃ。そして先人達の無念の想いもその魂に詰まっておった。……主らは運命に打ち勝った。ただ1点の希望をひたすらに目指して、300年越しの思いようやくを果たすことが出来たのじゃ。やっと、やっと……」 ホーリーナイトと橘を助けるのに300年強。彼らにとってその年月は到底理解できるものではない。ただ1人、エスペロだけが持つ記憶だ。 人間、長くても生きれるのは100年とちょっと。ある意味、樹の方が長生きしている。 300年。それはエスペルだけが理解することのできる時間の重さだ。 ホーリーナイトがふと我にかえったときには涙を流していた。こっそりと涙を拭う。エスペルが横目でそれを見ているように感じた。 「主らは元の世界に返りたいか?今いる世界はホーリーナイトの心の中じゃ。いずれ、崩れる。もちろん天国に行くことも可能じゃがな。一応主らの意見を聞いておきたい」 「私は帰りたいな。でも……ホーリーナイトが……」 もといた世界ではホーリーナイトは人間に嫌われている。橘をそれを察したのだろう。そして、エスペルにその思いはひしひしと伝わっている。 「大丈夫じゃよ。もう呪いは消えているのだから人間に嫌われることはない。それに……ホーリーナイト、ちょっと来なさい」 「ん? あ、あぁ」 ホーリーナイトは立ち上がり、エスペルの前まで歩み寄った。エスペルはホーリーナイトの体をじろじろと見回った。 「金色の眼。見事な鍵尻尾。全身真っ黒な体毛で1箇所も白い部分がない。ふむ。完全な幸運を運んでくる猫じゃよ」 「……は?」 突拍子に話題が変わって、ホーリーナイトは少し戸惑った。 「お主は不幸の産物じゃない。幸運を生み出す者じゃ。だから、何も気にすることはない」 「……そう、そうか。ありがとな」 この部屋が白いわけが分かった気がする。 「いいの? ホーリーナイト」 「ああ、俺がいる場所は橘の隣だけだ。俺が俺で在るがために俺は一生、此処にいる」 声は天空に響いた。心も天空に届いた。 「じゃあ元の世界に還してやるとするかの。まあ、ある程度時間を操作して近い時代に送ってやるわい。ただし、もといた世界には戻れないがの」 「ふふっ。楽しみだなぁ」 「それじゃ、ゆくぞ」 地面から光が浮き上がる。蒼い球体の形をした光だ。 「……私、これ見た事あるよ」 「そうじゃな。主は始めてこの空間に来た時見たのじゃったな」 1つ、また1つと天に舞い上がってゆく。数え切れない蒼の光が左右にゆらゆら揺れる。幾千、幾億の粒が空に浮遊し続ける。上昇していくと、どんどんその大きさが小さくなって,粒子ほどの大きさになる。 ある程度の高さでその大きさが変わらなったかと思うと、天は蒼い光いっぱいに埋め尽くされていた。 それはまるで、空のようだった。 小さな1粒の粒子が数え切れないほど集まって、広大無辺な青い空を創り出した。 瞬間、左右の白い空間の壁がガラスが砕け散ってカケラが落ちるように、ゆっくりと白い空間に閉じ込めていた見えないガラスは砕けて、地に落ちて、消えた。ホーリーナイトと橘を閉じ込めていたものは失せ、そこに現れたのは橘にとって見覚えのある景色。 「戻ってこれたんだね……」 どこまでも清らかで澄んだ青い空。広がる緑、果てることのない草原。そこにたたずむ1本の樹。 彼らがいた場所は小高い丘の天辺だった。 そして、暖かい風、大気が1人と1匹を包み込んでいた。 「ここは終わりじゃない。始まりだ。主らの人生の始まりじゃ」 「なぁ、エスペル。1つ聞いてもいいか」 「いいぞ。もう会うこともないから、後で後悔しないように全部聞いたほうがいいぞ」 スラッとさびしいことを言うエスペロが妙に羨ましい。ホーリーナイトはそれを悲しいと思うことはない。 「あんた、なんで見ず知らずの俺たちにこんなに良くしてくれたんだ?」 新緑の香りがする。命の芽生えが見える。カーテンのやわらかさにも似た陽の光が全身を包み込んでいた。 「サンタクロースからのクリスマスプレゼントじゃよ」 エスペルが頭まで被るように身にまとっていた緑の布。それが風になびき、フードとなっていた部分が後ろにめくられた。 その表情は、そこらにいる無気力な成年より生命力のある顔つきだった。 「冗談なのかほんとなのか、本当に冗談が好きだな」 「褒め言葉として受け取っておくことにしよう」 「じゃあな、エスペル」 「元気での」 「……じゃあね〜エスペルぅ〜」 よっぽどもとの世界に帰れたのが嬉しかったのだろう。橘は大きく振った腕も小さく見えるほどにもう遠くまで歩きだしていた。 すぐさまホーリーナイトはそれを追う。1匹と1人の歩く道は険しくとも、彼らはそれを気に留めずに歩き続ける。その光景を見て、エスペルは物悲しくなりながらも心から嬉しいと、目を細めた。 橘に追いつき、後ろを見る。エスペルはもういなかった。目に溢れそうな涙を堪えようとしながら、橘と同じリズムで歩を進める。橘も涙を堪えようとしているのかもしれない。 「ねぇ、あの男の子泣いてるよ。助けてあげよっか?」 橘は目を拭いながら歩く。ホーリーナイトもそれに同じだ。 ホーリーナイトは橘の肩に乗った。 「そうだな」 一直線にその男の子に近づく。その子は草原の上でひざを抱えてうずくまっていた。 「どうした少年。大丈夫かっ」 「……お姉ちゃん。だれ?」 「私?私はね―― 」 どこまでも、永続にはせる想い。約束を果たし、呪いという名の運命を破った。その追憶はこの先の人生の大きな支えになることだろう。 ホーリーナイトはとりあえず今を精一杯生きる事とする。そして、この記憶を永遠に留めていく。 命はその場でたたずんでいる1つの小さな点のようなものである。それは質量の大小で言えば小さくても、実は世界を動かす大きな存在である。 そして、時間が平行に移動するように、この幾つもの点が連なり生を紡ぎだしている。 生は、限りある命が無限に集積し、1つの大きなカタチとして現れるものである。 ――そして今、あなたやわたしは目的があってここにいます。 無限に集積した限りある幻のほんの1粒だとしてもこの広い世界にあなたと同じヒトはいません。 過去にもいないし未来にもいません。 あなたは何か心を満たすためにこの場所に立っています。 その価値観は命の数だけあるけれど、その命はあまりにも一瞬だけど。 必要に考えてください。感じてください。 その、無限のようで1つで、1つのようで無限のその命を。 輪廻に終止符を TRUE END |